日々の雑感

すっかりmixi日記に移行してます。
twitterも2010年春から始めました。

2007年12月31日
  こちらには全然御無沙汰になってしまいました。知り合いはだいたい
mixiで読んでくれてるから(笑)。
  春から仕事減らしたはずなのに、夏はやっぱりばたばたでした。秋にライブ
詰め込んで挽回、という年男の1年でした。それと、婆様が1年持ってくれた
のが何よりのことでした。家の建て替えは1年延期になってしまいましたが、
来年中には何とかしたいと思っております。
  2月に大きいイベント入れてしまったので、まずはそちらに専念。
1月の週末に2回出張で、札幌を不在にするのが痛い・・・。MA-DA-RAの
リハーサルとかライブ日程とかどうしましょう(苦笑)。


2007年3月5日
  前回の日記で書いた通り、4月からは健康保険がもらえる程度に
働くことにしました。仕事は閑散期だし、1〜2月はもっとゆっくり
できるはずだったのに、結局ばたばたしてやりたいことに手がつかず。
  年が代わってからのliveは3回、幸いどれも手応えありの演奏でした。
  MA-DA-RAライブは4月1日に決定です。ユニット組んで多分10年目。
今回はゲスト無しで、まったりやってみようと思ってます。


2006年12月14日
  こっちに書くのは4ヶ月振り。
  8月後半からライブラッシュと母親の入院騒ぎで大変でした。
もっとも、入院してもらったのでライブ出演できたというのも
事実でしたが。録りまくったライブ音源の整理、パソコン
取り込みをしないといけませんが、全然手がついてません。
  今年の正式ライブ出演は一応終了。今のところ新年の予定は
まだちょぼちょぼです。山田さんが時間空いたらMA-DA-RAを
そろそろやらねば。
  実はその前に、某雑誌からの依頼原稿を書かねばならないのです。
もちろん、医学雑誌ですよ(笑)。

  母親の世話を理由にして、表の仕事を少し減らすことに
決めました。3月まではたまっている有給休暇を少し消化、
4月からは意図的に収入を減らします。


2006年8月6日
  こちらの日記更新が滞っておりますが、相変わらずmixiの方で
地味に更新しています。5月はひどい気管支炎で1週間ダウン、
初めてライブキャンセルの経験もしました。8月の野外イベントは
結局観戦する立場になりました(笑)。
  アガルタバンマスが沢山ライブを決めてくれたので、8月後半から
大変なことになりそうです。「ちのはて」「からくり」もやりますよ。
決定したらスケジュールに載せるのでご期待を。


2006年5月7日
  4月を何とか乗り切り、GW初日はライブ。ライブ終了後のGWは
基本的に静養。これから3ヶ月が本当の繁忙期だが、既に2週毎に
ライブが6月まで入っている。8月と9月は野外イベントもあり。
色々覚悟を決め、準備もそれなりにしているので、年初当時よりは
気は楽です。


2006年4月9日
  繁忙期突入。まずは各大学回りの1週間を終える。とにかく
1週間毎にスケジュールをこなす日々が当分続きます。

  2日、秋山羊子ライブ観戦、彼女が東京に出てから初めての
里帰りライブで、会場のmojito club cafeは満員。あれだったら
机を引っ込めて椅子だけにしてほしかった・・・。
  主催者の挨拶のあと、秋山さんがドレスに着替えて登場。
見た目は10年前に初めて会った時とほとんど変わらない。声は
ファルセットが色っぽくなってました。曲は大分変化あり。
以前は歌詞が他人の作品が多かったけれど、今は自分で書く
ようになったこともあるだろう。曲調は、以前より普通になった
気がする。個人的には以前の方が好き。もっとも、今でもかなり
ユニークな個性であることは確かだけれど。唄だけでなく、
ピアノももっと弾いてほしかったね。
  休憩後、いいくぼさおり嬢が登場。初めはちょっと固かった
けれど、3〜4曲目から段々調子が出てくる。唄もピアノもうまい。
ただ、曲調は普通。あと、曲の最後を必ずトニックに解決して
終わるのが気になる。でも、唄からはとても「めんこい(北海道弁
で性格の可愛いこと)」お嬢さんであるのが伝わってくるので、
ぜひ頑張ってほしいなあ、と思わせる子だ。

  秋から冬にかけて、一見ちょっとした変化をおこすつもりです。
夏が終わる頃には公開できるかな。


2006年3月26日
  母親の調子が大丈夫そうだったので、19、21、22日と予定通りに
ライブ観戦をする。20日の職場絡み宴会は母の体調を理由にして
キャンセル(爆)。感想はmixiの方に書いてあります。

  24日、MA-DA-RAの「くう」デビュー戦。1、2曲目がみんな楽しみ
過ぎて長めになり、最後に予定していた「地味−変」をカット。
いつも2ステージライブに慣れていると、1時間だと短く感じる。
  自分の出番終了後は、すっかりお客さんになり、ライブを楽しま
せてもらいました。キッコリーズやっぱりいいね。心にしみます。

  25、26日は日帰り温泉とテレビでスポーツ観戦してだらだら。
長谷川(ボクシング)、本当に強くなった。以前はスピードだけ
だったけれど、世界チャンピオンになる直前あたりからパワーが
ついてきて、25日も完勝だった。
  女子フィギュアの中野は、もう少し点が出ても良かったのでは。
ちょいと残念。それより、キミー・マイスナーがオリンピックで
あの演技内容をしていたら、荒川の金メダルも危なかったかも。
アメリカの選手層の厚さは凄いものである。

  4月の勤務表を見て唖然。こりゃあ大変だわ。


2006年3月17日
  6日〜9日、ここに避寒旅行。リゾートホテルは1人部屋がないので、
1人旅だとかなり割高だが、それでも沖縄の高級リゾートホテルに
3泊で12万円強ならまずまずかな。(往復航空運賃、ガソリン付きの
レンタカー代を含む)グレードアップ料金じゃないのに、この部屋
泊まることができました。

  帰ってみると、またまた事態が更に悪化。今頃になって「先生、
どこかにお知り合いのお医者さんいませんか」などど呑気なことを
言う人の気が知れません。

  今朝、久し振りに救急車に乗りました。母親と・・・。幸い、
大事には至りませんでしたが、婆ちゃんとの母子家庭は、段々
辛くなりますね。沖縄に行っている間にならなくてラッキーだった
と思います。

  と言いつつも、24日はライブやるんですが。


2006年3月5日
  2月26日のライブの日、雨に濡れたせいかしっかり風邪をひく。
と言いつつも、明日から4日間、暖かい所に現実逃避に行ってきます。


2006年2月21日
  4月からの昼の件は、1〜2月にかけて更に事態が悪化することが判明、
かなり鬱に。そうもしていられないので、少しずつガードストーンを
置く作業を2月から始める。1人で3人分のことはできませんから。

  そんな中でもライブやったり、聴きに行ったりしております。
19日に26日のリハーサルやりましたが、面白くなりそうです。
はづきちゃんがいいですよ。11日のライブでも好評でした。
即興音楽ワークショップ参加メンバーによる、一つの成果として
聴いてもらえると思います。来ないと損しますよ。


2006年1月9日
  年初はおとなしく過ごす。とはいうものの、dtnのライブ(思ってたより
音量が大きかった)に行ったり、2月と3月のライブについて連絡調整
したり、去年のライブ録音をパソコンに取り込んだり、Milesのセラー・
ドア・セッション(CD6枚組)聴いたり。それに、何と言っても除雪作業で
時間をとられる。それでも、本州の豪雪地帯の人達よりはずっと楽
なのだから、我慢しなくっちぁね。


2006年1月2日
  ライブやったり、聴きに行ったりで忙しくも楽しい年末を過ごす。
そんな訳で、これから年賀状を作ります(爆)。幸い、ここ数日は休息が
とれることになったので、ゆっくりすることにします。
  2月に2回、若者とライブやります。3月もちょいと脳内で企画中。
4月からは昼の方がどうなるのか・・・。これはかなり頭痛のタネです。


2005年12月21日
  ほぼ3週間分まとめ書き。

  4日、北大ジャズ研定期演奏会へ。さすがに全部の演奏はチェック不可能
だったが、それでも6時間くらいクラップスホールに滞在。今年も内容
濃かった。入場料500円、札幌で一番お得なライブだと思う。武内君が
マツ・グスタフソンそっくりに演奏してたので驚いたが、実はファン
だということが後でわかった。

  9日、講演のため八雲町に日帰り。今年2月にも、ほぼ同じ内容で
講演しているので、新しいネタが無く苦労。それにしても、入院期間が
短くなって浮いた分の半額でいいから、外来治療の服薬支援にお金を
かけないと、結核は減りませんよ、厚生労働省。

  10日、午前中に買い物と届け物を済ませ、吹雪の中、はづき嬢を
連れてモエレ沼公園に向かう。
  S-AIRの展覧会で、村岸君の声がヘッドフォンから流れてきて、二人
とも大爆笑。彼の部屋の写真は作品になっていないらしいが。
  テルミンコンサートまで時間があるので、写真を撮りに外に出て
しっかり冷えきる。売店は冬休み、高級レストランはコース料理
のみでお茶できず、自販機のココアは生暖かい。
  夜のガラスのピラミッドは寒い。はづき嬢持参の断熱シートが活躍。
コンサートは、やのさんの「雪の女王」姿とギタリストの「王子様」
衣装でまた爆笑。あと、テルミンの機種でずいぶんと音色が違うことが
わかったのが収穫。そうそう、弾く時に「ふところを深く」保つことも
大切なようだ。
  ファミレスに寄り、食事と暖かいココアで体を温めて帰宅。

  11日、「くう」の"Jammin'"に行く。お目当ては「あさひるよる」。
吉田マイカ嬢の歌声が、これでしばらく聴けなくなるのは残念だが、
充実したライブだった。ナンザン、ミワ、ベッキー、ツカメグの
ヨーロピアン・ジャズ・バンドもなかなか怪しかった。演奏終了後、
ナンザンが自分の所に来て、「ああ、ここは落ち着けますね、あはは」
と言ったのがおかしかった。(こういう時は、「自分はJAZZの人扱い
なのだな」と思うのです)
  この2つのバンドの写真は、後日アップ予定です。

  12〜14日、中標津。悪天候のため、ライブハウスTICO TICO訪問は
断念。ZAPPA好きCD屋さん兼ギタリスト兼お菓子屋さん社長には会えた。
店はほとんど倉庫状態で、ネット販売がほとんどだそうだ。ZAPPAは
もちろんだが、Alice Coltraneの作品がなぜか沢山あった。

  14日は飛行機が予定通り飛び、揺れも去年ほどひどくなかったので
そのまま「WORDS...vol.2」へ。ちょっとはずれが多かった。
  ラップ軍団は、ラップの精神なし。言葉によって脳天や心臓を
突き刺し、打ち破る魂の叫びが、本来のラップの姿じゃないのか??
  ダンス2人組は、ちゃんと基礎も体もできていて、質の高い踊りを
見せてくれたが、コンテンポラリーかどうかは微妙かな。
  ベテラン詩人さんは、さすがに安定したパフォーマンスを見せて
(聴かせて)くれた。 
  某劇団は、いつもの彼らのペース。私の好みではない。
  今後期待できそうなのは、初めて観た若い女性。体はトレーニング
しているし、気合いも入っていた。磨けば良くなると思う。演劇
関係者なのかな。
  知人も何組か出演、感想は本人に伝えました。

  17日、午前中は業務。午後「ふぉとま」見学。GAP展を楽しみにして
行ったのだが(昨年はとても良かった)、今回は作品が高い所に展示
されていて、細かい所が見られないのである。大きなコンベンション
センターの壁に大きな写真を並べる、というのは面白いアイディア
だし、干し草が下に置いてあって、その臭いも展示の一部になって
いるという凝ったことまでやっているのだが、生きていない。作品
1つ1つは良かったと思うのだが。
  ブースに出展、出品している知人を一通り回り、帰ろうとしたら
ミクマリミホ姉さんと会う。

  夜はワークショップではなく、161倉庫へ。畠中君とみづほ嬢の
デュオは凄く良かった。これが本当のラップだよね。みづほ嬢の
ヴァイオリンも良く鳴っていた。迷わず次のライブをブッキング。
(多分1月下旬にやる)

  18日、スタジオシンフォニカを初めて訪れる。わかりづらい所にあるが、
出演する瀬尾の車があったので行き過ぎずに済んだ。「島食材」関連
パーティーだったのだが、初めのうちは瀬尾と石田君を除くと知らない
人ばかり。こんなことは久々の体験(笑)。しばらくすると知った顔も
ちらほら現れる。
  Dialog in the darkの時に、暗闇の中で踊っていた日本舞踊の先生と
御対面。監視用の赤外線カメラで踊りの様子を観ていたことを話すと、
びっくりしていた。
  CAIの端さんとも久々に話す。そういえば、CAI関係の若い女性が多か
った。美人率高い。端さんがうらやましい(笑)。

  瀬尾&石田デュオの1st stage終了後にsusukino810に向かう。受付は
CAI卒業生の若い女性2人。qodibopメンバー各々の個人ユニットの
演奏は既に終わっていて、聴けたのはPan American(その筋では有名
らしいが、当方は全く予備知識無し)とqodibop。
  Pan Americanは、何となくヨーロピアン・サウンド。ライナス渡部
さんは昔のプログレ系サウンドを思い出したようだが、自分は70年代の
ヨーロピアン・ジャズ・ギターの音に似ていると思った。心地よかったし、
ドラムが思ってたより繊細で良かった(バスドラはPAで上げ過ぎ)けれど、
新しさは感じず。
  qodibopは、また少しずつ変わって(変えて?)行っている。帰る時、
彼らとのワンマンライブ計画について、受付美女コンビに熱く語って
(!)帰る。

  20日、一灯庵で忘年会。忘年会のメンバーも、音楽をやる時と
同様に人選がとても重要。いいメンバー、いい場所、おいしい料理で
大いに楽しんだのでした。

  23日はアガルタ通信ライブだけれど、自分の出番は少な目です。
  30日は佐賀優子嬢とMA-DA-RAの第2弾ライブ。MA-DA-RAがロック系の
ライブハウスで演奏するのはこれが最初で最後かも。


2005年12月1日
  怒濤の11月下旬を振り返って。

  20日、「くう」で田中朋子トリオ観戦。久々に工藤悠君の
ドラムを聴く。1st setでは、やけに彼のドラムがおとなしい。
田中さんもややおとなしい。瀬尾はいつも通り暴れる(笑)。
最後の曲で少し調子が出てくる。2nd setでは、悠君もいつもの
「暴れ太鼓」になる。やっぱり、こうでなくっちゃあ。
  応援に来ていた工藤悠母が、「キヨミのそら 3」のフライヤーに
関心を示す。テルミン聴いてみたいそうだ。
  打ち上げに加わって帰る。

  22日、エリンギ、アネンギ姉妹の主催するF.H.C.ライブへ。
普段はアネンギ女史が経営する健康マッサージルームらしい
のだが、奥には立派なバーカウンターが隠れている。怪しい。
中の響き方はなかなか良く、照明を落とすと怪しい雰囲気
倍増、アンダーグラウンドそのものである。(店はビルの2階に
あるけれど)
  40分くらいのF.H.C.の演奏が終わり、ハハンギ、エリンギ、
アネンギ特製のディナータイム。その後2nd setがあるのかと
思ったら、その後は飲み会&酔っぱらいセッションに移行。
  翌日にライブを控えているので、12時過ぎに退散。

  23日、ギャラリー市田で演奏。20人以上のお客さんが入り、
会場は満員御礼。それでも、カウンターの中まで入らずに
済んだし、お客さんも何とか全員座れた。
  この日は27日に向けての予行演習兼置田さんの写真展の
オープニングパーティーということで、自分的には気が楽。
しかし、古立君は結構緊張していたらしく、自分の心音を
取り入れた演奏では明らかに心拍数が多い。で、この日の
ハイライトは彼と瀬尾のデュオでした。
  会場にはJAZZファンもいたので、ちょいとサービスで瀬尾と
JAZZをやってみる。彼と4ビートをやるのは、初対面のときの
小樽ビールでのセッション以来かも。初対面の熟女にえらく
受けた。
  演奏終了後、テルミンの周りに人だかりができる。瀬尾も
チャレンジ(指導:はづき)。


  25日、釧路で講演会。終了後、役場の人にホテルまで送って
もらう途中、「先月、THIS ISでライブやったんですよ」と
言うと、えらくびっくりされた。学生時代によく店に行って
いたのだとか。ホテルに荷物を置き、THIS ISへ。10月に
お手伝いをしてもらった女性が、次の企画の相談をマスターの
小林さんとしていた。後で話を聞いたら、彼女も同じ役場の
職員らしい。
  THIS ISを出た後、軽く飲んで帰ろうと思ったが、お目当ての
店は12時で閉店になってしまうため断念、コンビニでビールを
仕入れて就寝。

  26日昼、汽車で札幌に戻り、その足で札幌市保健所へ。毎年
恒例の結核談話会である。10年程前までは、途中でビールが
出たりする和やかな談話会だったが、今はごく真面目な勉強会に
なってしまった。同期(結核は全くの専門外)とも久々に会い、
お互いびっくり。
  家に荷物を置き、ギャラリー門馬へ向かう。神谷君の展示は、
まだ片づけられずに残っていた。音が出てなくても充分不思議な
空間がそこにはあった。展示はアネックスだったが、19時から
本館(母屋)に移って神谷君の演奏。と言っても、内容は1週間
録り貯めた環境音。橋本さん達がつくった御馳走を静かにむしゃ
むしゃしながら
(おいしかった!!)静かに流れる音との共存。
あっけなく演奏は終わり、古立君が神谷君の機材で、もぞもぞ
やり始める。
本当に機械大好きなのね。
  東苗穂まで歩いて帰ると、無謀な主張をする古立君をなだめ、
途中まで送って帰る。

  27日、石狩市民図書館で「キヨミのそら 3」。西村システムを
積み込んで昼過ぎに会場に到着すると、既に疲れた顔のはづき嬢と
風邪をひいて調子悪そうなキヨミ嬢がいる。おかまいなしに
はづき嬢に機材運搬を手伝わせる。開演20分前にセッティング
終了。既に濱さんは会場に到着し待っている。
  お客さん20人以上入った!!ラサーン池野夫妻、くたくたにゃん
家族御一同、エリンギ、伊勢谷さん、あみちゃん、そして工藤悠
母まで。あみちゃんを、大学の先輩のラサーン池野夫妻に、強引に
紹介する。とまどうあみちゃん。
  照明を完全に落とさないとスクリーンが見づらかったので、
演奏はちょっとやりにくかったかな。会場は丁度良い大きさで
響きも良く、生音とエフェクトをかけた音との共存ができて
これはとても気持ち良かった。瀬尾が「今日は曲はやらない」と
言うので、今回はJAZZはなし、完全即興演奏のみ。
  演奏終了後、瀬尾&あみベース連弾、という珍しいものを
見た。瀬尾のベース講座も。演奏後少し元気になったはづき嬢に、
また機材運搬を手伝わせ(台車で足を轢いたらしい)打ち上げ会場の
焼肉屋へ向かう。
  桑島財閥の御厚意により、出演者と手伝ってくれた子育て支援
サークルの女子大生でぱくぱく、むしゃむしゃ。機材がある自分は
ノンアルコールビール2本で我慢。「打ち上げらしい打ち上げ」に
はしゃぐ出演者。
  帰りの車の中で疲れが出たのか、いきなり鼻水ぐすぐすになって
しまったキヨミ嬢を送り届け、1週間が終わった。家で少しアルコール
摂取。2回とも瀬尾にギャラを出せたので、まずはそれで一安心かな。

  今週はおとなしくすることにしました。なので、30日のラテンラボ
欠席しました。盛り上がったみたいだなあ。
  来週金曜日に、また八雲町で講演です。


2005年11月20日
  16日、釧路THIS ISでの録音を整理する。何と、2nd setで1時間
40分も演奏しているではないか。軽く音質を整え、堂々CD-R3枚組の
"THE COMPLETE RECORDINGS AT THIS IS, 10/8/2005"を2組作って
リュックに詰める。
  17日、網走経由で斜里へ。今回は網走までは長距離バスを使ってみた。
いつもはJRなのだが、「オホーツク」に使っている車両は古く、シートが
狭いし、所要時間もバスと余り変わらないようだし、安くてシートが
広そうなバスを試してみることにした。発車していきなり、「降雪による
高速道路の速度制限のため、かなり遅れます」とアナウンスが入る。
バスはまじめに制限速度を守り、ちょっと冷や冷やしたが、40分遅れで
無事網走に到着。斜里へのJR乗り継ぎにぴったりの時刻になった。
  18日、清里で日常業務、その後いつもの定宿で温泉に浸かる。
  19日、予定時刻より早く業務終了。ストーブのない清里駅で40分以上
汽車(正確には気動車)を待ち、釧路へ。THIS ISで小林さんに再会、
無事CD-Rを渡して札幌に戻ってきた。3日間の移動距離は1000km弱。

  来週は演奏2回、その間に釧路で講演1回。12月にやる講演のネタを
勉強するために、座談会出席もしないといけません。


2005年11月14日
  12日、桑島スタジオでリハーサル。ここに5人集まったのは初めて。
mixiで打ち合わせ用コミュニティー作ったのに、瀬尾、古立の2人が
置田さんのプロフィールを全然読んでいないことが判明。
  音出しのセッティングをしたところで、一度置田さんに石狩市図書館の
会場を見せないといけないということになり、男子2人を置いて3人で
図書館へ。会場を置田さんに確認してもらった帰り際、係の人が
「来月のCDコンサートではフランク・ザッパのレア音源をかけます」と、
笑顔で宣伝。おーっ。
  桑島スタジオに戻ると、いつの間にか男子2人は仲良くセッション中。
瀬尾は「今日の録音ちょうだい」なんて言っている。ちょっと音を出して
すぐ休憩、しばし歓談。
  外が暗くなったところで、スライドを見ながら全員でセッション。
古立ペースの小音量で30分が過ぎ、初顔合わせの割にはいい感じ。
23日の会場は狭いので、小音量向きだし。

  13日、昼にタイヤ交換を済ませ、一休みしてからZIPPY HALLへ。
出演1時間前に到着、と思ったら予定より1時間遅れで進行中。おかげで
「ラサーン」が見れた。
  自分の出番は正味5分くらい。出演前にワイン飲んじゃったし、PAが
ほとんど入っていないので目一杯吹いたら、すぐにへたる。
最後まで付き合うと遅くなるので吹き逃げ。そのまま161倉庫に行くと
久々に長身キノコ姉妹に遭遇。毒ガスの攻撃に数十分耐え、帰宅。

  ZIPPY JAZZ FESTIVALの写真、ここからどうぞ。


2005年11月5日
  10月29日、MA-DA-RAライブ。みんな本番に強い。細かい点での
バタバタはあれど、全体的には良かったと思う。佐賀優子嬢も
大健闘。普通、山田さんと自分が好き放題やってる状態に、ついて
来るのは大変なはずだけれど、全然負けてない。大したものだ。
  今回はPAスピーカーを持ち込みしたので、演奏終了後飲めず。
(アンプ持ってきた小山君も)少しだけ雑談して帰宅。

  翌日、筋肉痛をおして(スピーカー運搬のせい?)即興音楽ワーク
ショップへ。参加メンバーが少なくなり、というか絞られてきて
濃い内容になってきた。生き延びるのは誰??

  11月3日、江別で拘束時間4時間、演奏正味30分、交通費付きの
演奏。偉い人対象(?)の、公共施設での演奏だったが、みんな
いつもの通りにガツンと大音量でぶちかまし。驚いたことに、
踊りだす熟女二人。かなり好評でした。江別市長さんとも少し話す。
ギャラは有名ミュージシャンのサイン入りTシャツで、自分は
ヒノテル氏の物が当たった。20年前だったら家宝にしてたんだろう
な。大切にはするけれど、今は家宝ではないなあ。


2005年10月23日
  18日、札幌に帰った夜に"we are meddler vol.10"を聴きに行く。
「豊田R啓貴アンドネイション」、ミンガスに影響を受けた、という
コピーはきっと洒落だろうと思っていたら、予想通り。というより、
思っていたよりずーっと良かった。豊田君のギターって味があるね。
  他の2組は、ちょっと長すぎて退屈。どちらも時間が短かったら
それなりに楽しめたと思うのに、少し残念。

  22日、aMi Label presents 'Vive les aMis. Vol.1'@ArtWarmに
行く。会場内に知人多数(出演者もお客さんも)、向山さんとはづき孃に
紹介するのが大変だった。
  Art Warmのホール内に、平台を組んだ素敵なステージと客席が
広がっている。早目に着いたのでカピバラカフェでお茶をして
(食べてた人もいた)開演直前に会場に入る。あれ、どうしてDJの
音が上手(かみて)からしか聴こえないんだろう。
  このホールは、石造り倉庫の割には響かない。というか、壁に
処理をして響き過ぎないようにしているのだが、そのため高音だけが
デッドで、中低音は癖のある響き方をするようになっている。
この特徴で損をしたのがiterだろう。vocalが全然聴こえない。
ドラムの音が妙に大きい。しかも、どうも下手(しもて)のPAからは
音が出てない(か、バランスが悪い)ようだ。演奏は良かったのに。
  qodibopの時にも、まだ音のバランスが悪い。今回も本山君の
ギターがおとなしいなあ。
  PAの調子は3番目のFilFlaの時にはかなり良くなってきた。初めて
聴くユニットだが、北海道勢のバンドと違って、音が妙に明るい。
こういうのが、多分典型的なエレクトロニカなんだろうと勝手に
納得してしまった。(自分の好みではない)
  最後のKuは、とても良かった。お寺でやったライブも良かったが、
このバンドのサウンドはカウンターアクションでは良さが出ないと
思う。会場のナチュラルな響きがKuのサウンドには必要なのだ。
だから、神谷君がここでやりたかったのだ。
  響く会場では、特にPAの善し悪しが露わになるということを
改めて実感したイベントでした。

  向山さん、はづき孃など計6人で、浪漫風で二次会。ではなく、
瀬尾が参加しているn.m.t.のライブを聴きに。お腹も減ったし。
ここでも懐かしい人に会った。向山さんが連れてきた香港の
Sonyaは、n.m.t.の演奏が気に入ったようで、二階席から体を
乗り出して聴いていた。


2005年10月16日
  中富良野に巡業中です。

  NHKの「日曜美術館」は横浜トリエンナーレ特集。札幌の"PRAHA"
(自分もライブをやったことのある、不思議なアートスペースでした)
の住人だった「脳意図(ノイズ)家」黒田晃弘君が、山根アナウン
サーの似顔絵を描いているところが、かなり長い時間映っていた。
"IYOMANTE" Open Air Art Festival in TOBETSU 2003
でも活躍していた彼だが、これで一気に全国区になれるかな。
知ってる人、特に自分のファン(
ホントです)が、有名になってくれる
のはとても嬉しいことです。


2005年10月15日
 10月6日、MA-DA-RAリハーサル。1年ライブをやっていないと
曲を忘れているし、今回は新曲や新メンバーもあって、苦戦気味。
下手をするとこれで最終リハか、と心配したが、直前にもう一度
みんなの都合がつくことになってほっとする。

  7日、qodibopとのリハーサル。きちっとした譜面をくれるのかと
思っていたら、いきなりフリーセッション30分。それから少しだけ
簡単な進行、構成をまとめて終了。
  帰りにETERのAMiちゃんに、qoのメンバーと一緒にいるところを
見つかってしまった。(後で本人に聞いたら、まさか共演するための
リハーサルだとは、その時は思わなかったそうです・・・)

  8日、PA機材「西村システム」を車に積み込んで釧路へ。途中で
高い切符を渡される、という事件や、山田さんの乗った汽車が
1時間近く遅れる、といったハプニングがあったが、いざ演奏が
始まると、バンドは絶好調だった。小林さんの前では、当然気合い
入りますよ。自分でPAの音が調整でき、きちんと音が聴こえて
いたのも好調な演奏の原因だろう。ただ、強行スケジュールに
途中から体が悲鳴を上げだしてきて(いつもの下腹部痛)、個人的
には大変でした。
  打ち上げで、小林さんから「アガルタ通信バンザイ」の声が
かかって乾杯。こんなことはめったにないそうだ。自分は2時で
宿に帰ったが、他のメンバーは朝まで飲んでいたらしい。もし
一緒につきあってたら、多分翌日には札幌に戻れなかっただろう。
(実際、帰りは途中でかなり眠くなり、何回も仮眠をとってきた)

  10日、秋庭さん主催のクラブイベントwrong movements 7に
qodibopのゲストとして出演。バンドの音量が大きいので、PAを
やってくれた木野君に、「とにかく音量を上げて」とサウンド
チェックで何回もリクエスト。ギターもハウリング気味で、
本山君かなり苦戦。
  本番前、「ライブ続いているんでチケット売れてないんですよねー」
と不安げなqoのメンバー。でも、演奏開始前には会場は丁度良い
具合にお客さんが入った。で、また下腹部痛が襲う。うー・・・。
痛みと戦いながらの15分強が終わってほっとする。
  今回の共演は「とにかくやれる時にやっておこう」ということで、
お互いのスケジュールがぎりぎりながらも実現したもの。なので、
楽しんだけれど安全運転の範囲内の演奏でした。qoとの組み合わせなら
もっと行けるはずなので、次の機会を必ず作ろうね。
 イベント全体については、古立君がまとまった感想を書いているので
それを見てもらった方がわかると思います。

  12日、某病院から依頼された1時間強の講演をこなす。ライブ続きで
準備不足はなはだしく、11〜12日はテンパッておりました。

  13日、「踊りにいくぜ!!」を琴似パトスで観戦。10日に出演して
いた人が、ダンサーとして出ていたり、東京のダンサーの音楽担当が
向山さんと同じフランスのスタジオで勉強した若者だったりと、
不思議なつながりを家に帰ってから発見する。感想は、その場の
アフタートークで正直に言ってきました。


2005年9月29日
  釧路THIS ISや帯広B
M7(ビーフラットメイジャーセブンス)に
行ってきました。B
M7マスターの佐々木さんは、僕の顔を見るなり
「どこかでお会いしてますよね」。
  しばらく経って思い出した。昔士幌にいた時に帯広の「アド」の
セッションに数回行ったが、参加者の中に余りジャズマンらしくない
見た目の若いコントラバス奏者がいたのだ。音はその頃から渋かった。
  なぜか店に備え付けのトランペットがあり、ちょっとだけ
遊ばせてもらった。全然使ってない楽器で、数曲吹いてやっと音が
きちんと出てきた。次に吹く人は、余り苦労しなくても音が出る
だろう(笑)。

  昨日は予定より幕別での業務が長引き、「全ギ」のライブの
1st setをには間に合わず。9年前のライブより会場が大きいせいか、
あの時ほど爆笑ライブにはならなかった。山田さんはエレキと
アクースティックで全く変わらず、「山田賢の世界」だった。
  打ち上げに付き合い、家へ帰った後なぜか寝つけず。今日が
代休で良かった。

  今夜は「オレンジカフェ」最終回に出てきます。


2005年9月24日
  休日出勤、リハーサル&ラジオ出演のダブルヘッダー、ライブ、
「休める」と思ったら老母が「具合悪い」と言い出したり
(幸い、すぐに回復しましたので御安心を)。

  こちらの方は余り書いてませんが、mixiには色々書いております。
入れる方はそちらでチェックを。

  明日から4日間、道東健診ツアーです。良い機会なのでTHIS IS
にも顔を出してきます。明後日は、また朝6時スタートの健診(鬱)。


2005年9月16日
  東京往復、低弦ライブ、ギャラリー市田ライブハウス化計画の
交渉、新教授就任パーティーで週末は経過。

  今週は"21+25=46"ライブがあり、学会で札幌にやって来た
大阪の先生とのナイトライフが2晩。面白い話は色々あったのですが、
さすがに疲れたので詳細は省略。気が向いたら書きます。

  明日も半日仕事・・・。


2005年9月4日
  夏休み終了。ライブ観戦3回、日帰り温泉3回、リハーサル2回、
ライブ会場の下見と日程打ち合わせ、で過ぎていきました。
「西村システム」用のスピーカーケーブルも作ったし。(久しぶりに
ハンダごてを握りました)
  予定していてできなかったこともあるけれど、比較的うまく
時間を使えました。明日からはいつもの生活に戻ります。早速
木曜夜には東京で専門家会議ですわ。


2005年8月30日
  昼は日帰り温泉でのんびり。夜はライブ観戦してます。
まずは休養優先ですね。
  mixiに入って以来、日記の更新はそっちが中心になっております。


2005年8月27日
  無事帰って来ました。さあ、色々動きますよ。休養も必要ですが。


2005年8月22日
  ここのところJAZZYな日々が多い。

  12日は浜さんの「ラサーン」バンドをくうで観戦。サングラスをかけ、共演者に
手を引かれて「ラサーン」登場、でもいきなり譜面台に手を出し、楽譜を
めくってたのでまず大爆笑。その他色々書き切れない爆笑シーン連発の
楽しいステージでありました。演奏は?というと、メンバーがアガルタ通信の
現メンバー、元メンバー、ゲストミュージシャンの構成なので・・・。

  13日、夕方に墓参を済ませ、夜は豊平のフライヤーパークへ。ほぼ確信犯で
ポケットトランペットを持参する。WHOOPSしょうこ嬢の誕生日ライブに
打ち合わせ30秒で1曲乱入。3バンドのライブ終了後、来店していたKAZUYA氏の
一言で突然セッションが始まる。ポケットトランペットと、しょうこ嬢の
メロディカ(HORNER社製の鍵盤ハーモニカ)で参加。メロディカはいつも使って
いるメロディオン(スズキ社製)とは、ずいぶん吹き心地に違いがある。
もっと続けたそうなKAZUYA氏だったが、客席からの拍手でセッションは強制終了。
どこに行っても、深夜セッションで中年は妙に元気なのである。
  客席にいたお兄さん(弾き語りをやってるらしい)に、「みんないきなり演奏できて
凄いですね」とえらく感心される。本人には直接は言わなかったが、本音を言えば
「セッションでちゃんとできるようになってから、ライブハウスのステージに
上がりなさい」だよねえ。

  14日、即興演奏ワークショップ。お盆の割りには参加者が多い。新人も登場。
うち1人はトランペッター登録。でもほとんどピアノとヴォーカルで参加して
いたので、最後に神谷君と3人で「ブラスバンド」を組んでトランペットを
吹かせてしまいました。
  終了後、はづき嬢を連れて石狩Artwarmを久々に訪れる。石狩市民なのに初めて
中に入ったはづき嬢、気に入ったようでカピバラカフェの村上店長と熱く語る。
帰宅後女子マラソンを応援して就寝。

  16日、はづき嬢からの招待でmixi登録。思ってたよりJAZZ関係の人が中にいる。
早速NAOYA氏から連絡あり、17日のLatin Labo sessionに参加、18日には幻の
グループ"UNIONS"のライブ観戦に行く。

  20日、はづき嬢と芸術の森へ。高校野球決勝とぶつかるので空いているだろうと
思ってこの日に行ったのだが、結構人が多い。
  イサム・ノグチ展を見た後はギャラリー市田へ向かう。狭いけれどなかなか良い
雰囲気の空間で、ミニライブをやる会場として使えそうである。店主の市田君も
やる気あり、楽しみ。

  21日、西條さんと石田君のグループの「対バン」(JAZZではめずらしい)ライブあり、
ZIPPY HALLへ。メンバーが若い方が古い曲を演奏していた。西條さんのオリジナル
曲は、70年代JAZZそのものの曲想で浜さんと自分に大受け。アガルタ通信で演奏
してもいいのでは?
  地下の161倉庫に寄ったら、ヌルマユの2人、松本氏、あゆみ嬢、神谷君に遭遇。
皆さん色々とそれぞれに考えているようです。

  明日から富良野に5日間行ってきます。その後、1週間息抜きをします。ふー。

2005年8月10日
  8月に入り、昼間のスケジュールにようやく余裕が出てきた。
7月31日の過密日程の疲れが抜けるのに時間がかかった(40代
後半だからしょうがない)が、「オレンジカフェ」に出演して
7月31日の演奏をon AIRしてもらったり、日曜と月曜は続けて
ライブを見に行ったり。

  7日、F.H.C.の2ステージワンマンライブは、全部で40曲以上を演奏。
うち2/3くらいは音源や楽譜を持っている(以前に共演してるので)
もので、その他が比較的新しいレパートリー。自分が演奏した曲で
今回やってないのもあるので、50曲は作品があるということになる。
阿部さんが変な映像を後ろで流したり、途中でかさい君がフラッシュ
ライトをチカチカさせたりと、この日も先週に引き続き怪しい
夏の夜を満喫した。

  8日、Spiritual Loungeに中村楽気店時代以来初めて足を踏み入れる。
座れる席がほとんど無くなってしまったのは、ヘルニア持ちの自分には
酷である。仕方ないので「じべた」して観戦。途中でソファーが空き
座れる。隣に自分の演奏を終えた佐賀優子孃が座ったので、これ幸いと
共演の依頼をする。交渉成功、次回のMA-DA-RAのliveにゲスト参加
してもらうことになりそうだ。
  当日のお目当て「あさひるよる」は最後の出演。うん、これくらい
できればcoverでも聴き応えがある。vocal真衣香孃の組んだ脚の指先が
何とも色っぽく動いていてドキドキ。と思ったら、まるでvocalに
フランジャーがかかったように聴こえるじゃないか。多分、一種の
ホーミー現象になっていたんだろう。聴衆全員満足してライブ終了。
  終了後、「スローロリス」というデュオでギターを弾いていた住友君
というお兄さんから「僕が高校生の時に、トランペット吹いてるのを
見たことがありますよ」と、声を掛けられびっくり。そしてとどめは(?)
新保君から「9月13日に時間空けときますので宜しくお願いします」の
一言。ライブ一本決まっちゃいました。

  明日はまたラジオ(オレンジカフェ)に行きます。「えにし」の
演奏をon airする予定です。夏の夜に相応しい内容ですので、ぜひ
お聴き下さい。また、明後日やその次の日も、多分ライブハウスに
出没していると思われます・・・。

2005年8月2日
  東川と札幌の日帰り強行トリプルヘッダーは、スリル満点の経験
でした。朝急いで準備し出発、もうすぐ旭川という所で肝心な物
(トランペット)を忘れたことに気づき呆然。鍵盤ハーモニカだけで
JAZZのステージをやることに。何とかしたけれど、よっぽど地元の
小学生から(学校のブラスバンドが演奏していた)トランペットを
借りたいなあと・・・。
  写真とのコラボレーションも、始まるまでは色々不安要因いっぱい
だったが、PA担当の江幡さんの多大な協力もあり、無事終了。
  また急いで札幌に戻り、一息ついて十蘭堂へ。今度はカオスパッドを
接続するコードが無い。まあ、店が狭くて置き場所も無かったから
カオスパッドは使わず。風鈴と仏鈴でチリンチリンやってみました。
  自分の演奏終了後は中本ワールドを満喫し、結局は満足して終わった
1日でした。


2005年7月18日
  北海道内をあっちへ行ったりこっちへ行ったりの毎日です。
12日に行ったライブ情報の更新も旅先からでした。

  15日の宝示戸亮二ライブ、札幌へ帰る途中で花火渋滞に巻き込まれ
冷や冷やするが何とか間に合う。久々に「かぶりつき」で見る。
2ステージライブの2nd setにはおなじみの「曲」が並ぶ。
アンコールがかかり、もしかすると、と思っていたらやはり
"Mongol Mongol"
を演ってくれた。去年は"My Back Pages"を
演ったので、今年は、と期待していたのだ。いいんじゃない?

 16日は出身大学のJAZZ研の定期演奏会。自分が1年生の時に始まった
定演も26回目、弱小サークルなのによく続いている。お客さん一杯、
何だか北大と道工大率高い。ガンバレ若者。

  17日、日帰り温泉に出掛けた。もうすぐ目的地、と思ったら後ろから
ドカン、とやられた。衝撃がかなり大きかった割には体のダメージは
小さくて済んだ様だが、貴重な休日が・・・(>_<)。


2005年5月6日
  更新が滞っていてすみません。
  連休中は2日間連日のライブ。気張ってハイノートを出す曲も
あったりして、久々に口唇を切りました。しっかりリップクリームの
御世話になっております。演奏は2日間とも楽しくやれました。


2005年3月7日
  とても楽しみにしていた、そして本当に良いイベントになった
[鳥は星型の庭におりる]が無事終了。当日会場入りした後に、細かい
トラブル発生で開演が遅れたり、自分たちの出演順が最初になったり
(結局元々の予定時刻と同じになったのだけれど)したが、演奏内容は
全体を通して良かったと思う。
  自分のソロでは、会場の特性を生かすために生音勝負。ただ、
客層も考えて少しメロディックに。なんてことも考えて吹いたのだが、
無心でやるより難しかった。
  デュオはいつもの即興演奏のように出たとこ勝負。テルミンも
ピラミッドのナチュラルリバーブでいっそう映える。開演が遅れたので
やや短めで切り上げたが、もっと長い時間やっていたかった。というか、
長くやっても大丈夫になってきたことを確認できたのが一番の収穫。
  そして、今回のイベントの「本日のスター」は、PAの白井君。
演奏内容、会場の特性を良く考えていい音を出してくれました。
ミュージシャンが良い演奏ができたのは彼の力がとても大きかった。
忙しい中企画してくれた中川君とともに、感謝。


2005年1月22日
  新宿のビジネスホテルで書いてます。

  18日、夜汽車で山形県鶴岡市に向かう。目的は「ほら貝の試奏」。
翌日羽黒山の麓にある記念館に行き、ロビーに置いてあるほら貝を体験。
あっさり音は出たが、山伏の出す音とはちょっと違う。記念館の人に
ほら貝を扱っている人の電話番号を教えて貰ったが、自分で買うと
なると結構高価な物だけに、購入は考慮中。

  20日、東京に移動し新宿PIT INNへ行くと、NMAの沼山さんがいるでは
ないか。現在東京在住のサックス奏者木村君も。ちゃんとみんなチェック
していますなあ。
  大友さんに「トランペットのアクセルは本当に凄いから、見ると
めげちゃうかも知れないよ」と脅かされる。うん、確かに凄いわ。でも、
使ってるメソッドは自分も練習、研究中のものだったので、とても参考に
なった。
  自分が見れたのは5日間中3日間だったが、楽しめ、かつ刺激をもらった。
大友さん自身もかなり興奮している様子が、「JAMJAM日記」を読むと
よく分かりますよ。

  詳細を後日書き足すかも知れませんが、今晩はこのへんで。
明日は
「くう」の新年会です。


  2005年1月17日
  明日夜から東北〜東京を回ってきます。東京では「大友良英 NEW JAZZ
FESTIVAL」をチェックしてきます。帰って来たら「くう」の新年会です。


2005年1月16日
  14日、"SHOOT THE WORKS !"  PRE LIVE「放下 18」を観る。
1時間、無音での即興ソロダンス(と言うより、身体による表現行動)。
いや、無音というのは正確ではない。会場のPATOSは、かなり外の音が
聞こえる所だし、岩下さんも踊りながら音を出してるし、自分の頭の中でも
時々音が鳴ったりする。
  観客の中には、居眠りをしている人もちょこちょこ。自分も半分
あちらの世界へ行きそうになる。退屈だから眠くなるのではない。
心地よさ、リラックスと緊張感が微妙にバランスしているのでそうなるのだ。
アフタートークの時間に岩下さんが語ってくれたが、踊っている本人も
同じような感覚だったようである。
  何とも不思議な1時間の「ライブ」、残念ながら、ミュージシャンで
見に来ていたのは4月に共演予定の嵯峨さんくらいだった。


2005年1月8日
  新年も1週間が過ぎる。まずは、昨年の疲れを少しずつ回復させるのが
第一だが、今年は色々起こりそうで楽しみ。まずは久々のからくりライブに
御期待下さい。セッションタイムもあるので、飛び入り、乱入お待ちして
おりますよ。


2004年12月31日
  23日の今年最後の演奏はダブルヘッダー。結局はspaonでのセッションの方が
時間もたっぷり、内容も充実していた。桑島はづき嬢も積極的にセッションに
参加、spaonの雰囲気はテルミンが良く合う。Ku及び
Oro Caldo皆さんに感謝。

  今年は昼間の仕事がバタバタで、音楽活動は現状から落ちないようにする
のに精一杯。(はっきり言って落ちました)まあ、「災」の年だったのに
この程度で済んだのは良しとすべきなのだろうか。来年は面白いイベントへの
参加が決まっているので、何とかしないとね。

  これから小樽に行って年越しです。良いお年を。


2004年12月19日
  何だかんだで、またここが更新できてませんでした。すみません。

  今日、「北海道フォトコンベンション2004」を見に行く。昨年から
写真作品とのコラボレーションライブが続いたこともあって、場内には
顔なじみが多数。特に、写真のフリーマーケット「ふぉとま」の出品者の
半分くらいは知っている人だった。後輩もしっかり頑張っていた。
  会場が広過ぎて、1階の展示と「ふぉとま」だけで充分「ごちそうさま」
になってしまうのだが、2階で行われている-北海道のいま!-「ギャップ」
が、見ものである。小樽フリーランスの神田さん、「キヨミの空」で一緒に
コラボレーションライブをやった置田さん、彼女の写真の師匠の廣島さん
といった人の作品が並んでいる。また、渡辺さんの作品はtheloniousの曲に
触発されたものということで、音源を聴きながら写真を見ることができる
ようにと、MDプレーヤーがそばに置いてあった。
  2階の更に奥の小さな部屋で、浅野さんの多大な努力で実現した
「景」の表現という、日本と中国の写真家の共同展示が行われている。
この展示についてはフォトコンベンションの公式HPには載っていないし、
場所も本当の奥にある。更に、予算の都合なのだろうが、中国作品の
プリントサイズが全体に小さく、見映えが悪い。とても質の高い作品が
あるだけに残念。

  23日は久々にライブです。「とまと畑」は小さな会場で、持ち時間も
短いのですが、桑島はづき嬢の成長つつある姿を見に(聴きに)来て下さい。
また、その後spaonに楽器を持って移動するので、おそらく
Oro Caldo
セッションすることになるでしょう。


2004年12月1日
  長期間このページを放置してしまい、申し訳ありませんでした。
やっと昼間の仕事が落ち着いてきたので、少しずつ復活させます。
実は、水面下でプロジェクトが進行しています。もう少し公開は
お待ち下さい。


2004年6月11日
  まだ空咳が続いています。これから1週間札幌を不在にします。
メールが受診できない可能性がありますのであしからず。


2004年5月15日
  膿性痰、膿性鼻汁、発熱のためダウンしてます。ゲホゲホ、ジュルジュル。


2004年3月28日
  12日のMA-DA-RAライブは、おかげさまで大入り。といっても、自分の
知った顔は少なく、今回の観客動員は小山君の力でした。少しでも
多くの人にライブに来てもらえるのは嬉しいこと。小山君の若い生徒さんが
「映像が浮かんでくるような演奏でした」と言ってくれたのもとても
嬉しかった。
  "No.4"は、やはり細かいミス多数の演奏でした。他の曲はまずまず。
失敗したのは、DATでの録音が全然入っていなかったこと。あーあ。
ビデオは撮れていた(これも、1st setはお客さんの頭が大きく写って
いて、音しか録れていない)ので、これで我慢?小山君のHDDレコーダーに
ちゃんと入っていることを祈ろう。

 13日、斉藤易子(さいとう・たいこ)ライブ観戦。 ヴァイブラフォニスト
David Friedmanのお弟子さんだというので、興味津々で出かける。1曲目
では少々固かったけれど、自分の作品の2曲目からは調子を上げる。曲想は
David Friedmanよりは赤松敏弘(この人にも習ったらしい)に近いかな。
クラシック出身ということで、テクニック優先ではないかと心配もして
いたのだけれど、とても唄心たっぷりの演奏で満足。なぜかトランペッター
Kenny Wheelerの"Everybody's song but my own"という隠れ名曲まで
演奏してくれた。(この曲をライブで演っているのを聴くのは初めて)
  今回ピアノで共演した田上さんに聞いたら、「こんな凄い楽歴の人だと
知らず、軽い気持ちでライブ決めたら大変なことになっちゃった」だとか。
でも、いい経験したよね。

  18日、向山さんに12日のビデオを渡すついでに、「オレンジカフェ」に
出演。塚原氏が当日かける予定だったCDを忘れてきたので、急遽自分の
持参したCDをオンエアーすることに。

  20日、アガルタ通信ライブ。MA-DA-RAライブが終わってちょっと気が
緩み、ライブ当日に演る曲の最終チェックをして、少々あわてる。全員
でのリハーサルが全然できなかったこともあり、テーマの所ではみんな
バタバタしていたが、アドリブの部分では総じていい演奏だったと思う。
特に2nd setに「ギラギラ ガールズ」が現れてから、特に張り切った
ような気が。(含む自分)
  お客さんも大盛り上がり、中でも一番喜んでいたのが美術家の某女性
でありました。

  21日、さっぽろ村「たまねぎ倉庫」で、徐 承我(ソ・スンア)さんの
舞踏
観戦。彼女も18日の「オレンジカフェ」に突然ゲスト出演し、公演の
案内をもらったのでインターネットで調べてみたら、吉本大輔氏の右腕の
ような舞踏家であることがわかったので、しっかりチェックすることに。
  作品は大きく5つのパートに分かれていて、
1.衣をかぶってゆっくりした動き(対角線の動き)
2.衣を脱いでゆっくりした動き(縦・横十字の動き)
3.激しい動き(ステージ全体を動く)
4.無音での動き(やや静かになる)
5.再び音楽が入り激しく動く
といったもの。
  ソロで1時間近い作品を踊り通すスタミナと集中力は凄い。ただ、一番
難しいパート4の部分(ここが見せ所だと思うのだが)で、見ている自分の
集中力のスタミナが少し切れた。今回がこの作品の初演らしいので、
もう少し短めの方が良いのかも知れない。

  25日、小山君のHDDレコーダーで録った12日のライブ音源を受け取る。
ちゃんと録れていたので一安心。

  26日、「くう」で瀬尾トリオ観戦。このトリオの記録はぜひ録って
おきたかったので、ビデオカメラを持参。目黒君もビデオ持参だったので
2台で録画。ものすごい熱演だったうえアンコールもかかったので、
テープが足りなくなったり電池が足りなくなったりで、2台カメラが
あって大正解だった。演奏は、最後に感極まった石田君が気を失い、
どうなることかと思ったが、何とか彼が我に返り終わった。


2004年3月10日
  MA-DA-RAのライブまであと2日。新曲、旧曲、スペシャルゲストと
取り混ぜて用意しています。皆さん来て下さいね。

  6日に向山宅で"No.4"のリハーサル、7日には小山宅でMA-DA-RAの
リハーサル。"No.4"のようにきちんと譜面がある曲は、また別の
難しさが。音符の数は少ないけれど、結構音がヒットしなくて苦労
してます。元々トランペットのために作られた曲ではないということも
ありますが、結局は修行が足らんということ。何とか頑張ってみます。
  小山氏作曲の「変なコード進行」の曲も、なかなか難物。ギタリストの
作る曲をトランペットで演奏するのに大分慣れてはきたけれど、こいつは
大変です。窮余の策として、暴れてしまおうかな・・・。

2004年3月3日
  2月19日、
Oro Caldoの植村君からメールで連絡があり、馬賊へ向かう。
ライブのスタート時刻が遅いし、さっと聴いて帰ろうかなと思ったら、
なぜかトランペットがあるし、「せっかくだから一緒に演奏して下さい」
ということになり、2ステージ目にセッション。やっぱり、アルコールが
入ると音が出ませんわ。終了後MA-DA-RAのフライヤーをお客さんに配って
退散。馬賊での最初で最後のステージでした。

  2月22日(猫の日)、小樽でアガルタ通信ライブ。悪天候のためJRで小樽へ
行こうと思ったら、ダイヤも混乱状態で冷や冷やしながらフリーランスに
到着。しかし、いつもより観客が多い。
Oro Caldoの2人も来てくれた。
有り難いことです。最終の汽車(幸い定時運行)で西条さんと札幌に戻る。

  2月28日、ICCフェスティバルで塚原さんのプレゼンテーションの「お15手伝い」
演奏。昼過ぎまで学会に出た後、大急ぎで荷物を抱えてアーバンホールへ
行った割りには、出番はあっさり10分で終了。でも、素晴らしい二胡の演奏が
間近で聴けて感激。谷本君も頑張ってたしね。
  基本的には「商談会」なのにとても楽しめるイベントでした。もちろん私も
フライヤーを配ったり名刺交換(当然ミュージシャン名刺)したりと宣伝活動。
  興味をそそられたのが、トライフェイスの早川監督が構想中の映画、「壁男」。
凄く面白そうです。スポンサー募集中。きっとヒットすると思うのだけれど、
どこかの企業の人見てないかなあ。

  3月3日、久々の宝示戸亮二ソロ観戦。アンコールで"My Back Pages"を
15年振り(?)に弾いたのにはびっくり。古くからの知り合いとしては、
感慨深いものがありました。


2004年1月26日
  道東出張中に雑感の更新をしようと思っていたのだけれど、結局ライブ
スケジュールの速報だけしか更新できませんでした。

  10日、塚原教授から招集がかかり、161倉庫で中年不健康体デュオ「すこやか」
スペシャル(?)ライブを敢行。けっこういい感じ。この日は161倉庫の新年会を
兼ねていたのだが、健康に不安のある2人は演奏終了後早めに帰宅。

  11日、「くう」での合同新年会&ライブ。予想通りの盛り上がり。林栄一氏が
来ていることもあってか、各バンドともいつもより高いテンションでの
演奏に思えた。自分自身は新年会モードで「ごめんなさい」。アルコールが
入っているし、会場が暑くマウスピースの中に汗が入って全然音が鳴らず。
でも、帰り際の林栄一氏から握手を求められてびっくりでありました。

  17日、出張先の店でのセッションに参加。楽器は持って行かなかったので
店のマスターに無理を言ってトランペットを調達してもらったのだが、これが
凄くいい楽器だった。多分、自分の楽器の2倍くらいの値段かしら。自分の
楽器とは少し個性が違うが、とてもスムーズに音が出せて気持ちよく演奏して
きました。本当にありがとうございました。

  20日、道東出張の帰りに釧路でJAZZミュージシャン飲み会を敢行。メンバーは
サックス2人、ドラム、ヴォーカルと自分。「からくり」の安藤君が釧路在住
だった時にも聞いたのだけれど、釧路には独特の雰囲気があるのだとか。

  24日昼、ヤマハのロビーで行われたビジュアル系テルミン奏者、桑島はづき嬢の
ミニコンサートに。いきなり開演直前に特等席に座ったので、伴奏の向山さんも
驚かせてしまったようである。(しっかり2人のホームページに書かれてしまった)
演奏終了後、観客に来た歌うたいの伊勢谷さんを交え、お茶して一時帰宅。
(女性3人に囲まれ、素直に喜ぶ自分でした)

  夜はAfter Dark Cafeの"Latin Labo"乱入。その名前の通り、本来は
「ラテン研」というセッションである。リーダーの黒田氏は、最初に
「これはセッションですのでお聞き苦しい点があると思いますが」と言い訳の
口上をして演奏が始まる。今回はホーンセクションがいつもより少なく、
結局2ステージのライブにフル参加。
  一旦ライブが始まると、某ジャズダンス・スクールのメンバーが多数お客さんと
して来ていたこともあり、大盛り上がり。アンコールもかかってしまった。
演奏終了後は、「神様になったコンゲイロ(コンガ弾き)」という話題で爆笑。
何のことか分からない方は、メールで問い合わせ下さい(笑)。
  それにしても、何だかんだで今年になってから5回も人前で演奏してるんだな。

  今朝の新聞を見てびっくり。JAZZ研の先輩の死亡記事が載っている。なぜか
自分の大学のJAZZ研出身者は若死にする人が多いのだ。この場を借りて御冥福を
お祈りするとともに、自分の過体重も気をつけないと・・・。


2004年1月7日
  また雑感の更新をせずに新年も7日目に。まずは、書き忘れた年末のことから。

  23日、北大JAZZ研定演観戦。自分が学生の頃から、北大JAZZ研の定演は長いことで
定評があったが、今年は午前11時開始で夜の10時までという超ロングラン。さすがに
全部は観なかったけれど、17時過ぎから21時頃までたっぷり楽しんできた。
  お目当てはアコースティックベースが13人、というとんでもないグループ。
リーダーはアガルタ通信のベーシスト、瀬尾高志である。これも面白かったのだが、
管楽器をずらりと揃えた「瀬尾オーケストラ」には更にびっくり。何と、「ギラギラ
ガールズ」
なるダンサーが登場、会場の度肝を抜いた。何でも、他のメンバーも
ステージに上がるまで知らされてなかったとか。
  でも、一番良かったのは「ギラギラガールズ」でも登場したヴォーカリスト、
徳原美和嬢のグループだった。久々に聴く魂の唄だった。そして、このグループでも
ベースを弾いてたのは瀬尾高志である。
  その他のグループの演奏も、総じて非常にレベルが高かった。これで500円は
安過ぎである。一時期気になった、「おとなし過ぎる演奏」から脱却したのは
いい先輩がいるから、なんだろうなあ。

  25日、瀬尾高志トリオをAfter Dark Cafeで観戦。編成はよくあるピアノトリオ、
いわゆるジャズ・スタンダードも演奏している。しかし石田幹男という「ぶっ飛び
ピアニスト」がメンバーにいることもあってか、中身は実に刺激的。マスターの
坂田さんと「学生時代の宝示戸亮二よりも飛んでる」という結論になった。
ドラムの目黒君が春から札幌を離れてしまうので、まだ聴いたことのない人は
早めに演奏をチェックするべきだ。

  刺激を受けて、27日は久々にAfter Dark Cafeのセッションに出かける。うーん、
今回は自分の苦手な典型的バップ・セッションに。しかし、セッションは
とても盛り上がり、帰るに帰れず3時半くらいまで店に。ベースの大塚恵嬢
(実はギラギラガールズの片割れだったりする)は、ほとんど弾きっ放しで疲労困憊。
 
  29日も、After Dark Cafeのラテン・セッションへ。狭い店にトランペット5人、
トロンボーン4人、サックス4人。いやはや、うるさいの何のって大変。ラテン・
セッションが一段落した後、午前の部(!)は4ビートジャズ・セッションに移行。
この日もベースは大塚恵嬢、本当にお疲れ様でした。

  31日の夜、年賀状の制作を済ませてから161倉庫に向かう。安藤君と合流して
まずはかさい家へ。年越しそばをごちそうになり、15分程の滞在で慌ただしく
小樽へ向かう。
  CRU-Zという倉庫を改造したライブハウスに着くと、まもなく新年の
カウントダウンが始まった。少し落ち着いてからF.H.C.が2曲演奏、そして
自分が入ってインプロで10分程の演奏、初吹き終了である。周りはロックな人
ばかりなのかと思ったら、「小樽では演奏しているんですか?」と反応が
あった。

  こうして始まった新しい年。11日には「くう」でアガルタ通信、カニバンド、
Hz(ヘルツ)オーケストラ合同新年会&ライブがあります。アルトサックスの
林栄一氏が来たり、他にも札幌のミュージシャンが多数集合するとか。これまた
大変な新年会になりそうだ。

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