日々の雑感


 


2001年1月〜3月の雑感


2001年3月27日
BizCafeでの演奏は、何だかよくわからないうちに終了。
終了直前、コンピュータが出すリズムに乗って、ベースパターンと違う
スケールをわざと吹いた時に、一瞬だけいい感じになったけれども。

そそくさとBizCafeを後にして、コンカリーニョに行き平柳女史のダンス
ワークショップ見学&打ち合わせ。音楽以外のものを見るのも、とても
勉強になる。


2001年3月25日
明日の札幌BizCafeでの演奏は、業界内のイベントのため、非公開です。
あしからず。

今晩は「すすもり」のお別れliveに行ってきます。「もり」こと森岡君は
私の昼間の職場でアルバイトしてたことがあるので・・・。なかなか、札幌で
音楽だけでは食べていけないのですよ。


2001年3月24日
MA-DA-RAのliveにおいでいただいた皆さん、大変ありがとうございました。
いつも集客が気になってしまうのだけれど、幸いにして20人以上が集まって
くれました。しかも、音楽が大好きな人たちが。
もちろん、全てがうまくいったわけではないけれど、自分が音楽で表現
しようと考えたことは、何とか皆さんにわかってもらえたのでは、と
自分では思っています。今後も応援して下さい。

今朝は何だか早く目が覚めてしまい、それなら散髪に行こうと学生時代から
通ってる医大病院の床屋さんに電話したら、奥さんが亡くなって休業中だと
いう。夫婦で長年やっていて、奥さんは色々病気があって苦労していたのだが、
最近は比較的症状が落ち着いていると思っていたのに・・・。合掌。

26日にBizcafeで塚原氏と即興演奏することになりそうです。


2001年3月21日
17日の酒が残っているのか、どうも疲労が抜けない。昨日も昼はだらだら
テレビ漬け(バスケットの試合はなかなか面白かったけれど)、夕方は
散歩がてらにCafe Tidosへ参上。持参した「からくり」CDを聴きながら
バナヲ氏と雑談、帰りは車で送ってもらってしまった。

今晩はMA-DA-RAの最終リハーサル。小山君が自分のイベントで多忙だった
割りには、19日のリハーサルがまずまずだったので、本番は何とかなり
そうだ。腕達者なメンバーを揃えておくと、実に頼もしい。

23日の夜は、皆さんAfter Dark Cafeへ来て下さい。


2001年3月18日
昨日は楽器の掃除をした後、「からくり」の塚原氏、id-creationの二人、
「おやじ」らと日本酒パーティー。音楽談義に熱が入るのに伴ってついつい
酒量が多くなり(弱いくせに!)ふらふらになって帰宅。今日も夕方まで
ずっと調子が悪い。
明日の晩はMA-DA-RAの久々のリハーサル。少ないリハーサルだけでも何とか
なってしまうのが、このユニットの強さなのだが、明日はちょっと気合を
入れてやらないと、本番に間に合わない・・・。


2001年3月15日
ここ1週間で訪れた所:
小樽フリーランス、Cafe Mikumari、あじや
東区161倉庫
琴似コンカリーニョ、Optica
苫小牧アミダ様

23日のliveに向けて、多忙な日々が続く。それでも、色々な人の演奏を
聴きあさるのはとても刺激になる。普通だったら自分の練習を優先するの
だろうが・・・。各々のレポートは書く時間がないけれど、とても面白い演奏に
出会えてうれしい毎日です。 
     

2001年3月8日
アガルタ通信の小樽live決定の模様。春が近づくに連れて、少しずつliveの
スケジュールが入ってくる予感。ようやく風邪からも解放されつつあり、
(今シーズンは3回ぶり返した)遅れていた楽器のトレーニングを始めなければ。
ただ、春になったら今度はシラカバ花粉症が襲ってくる・・・。


2001年3月5日
2日、ラジオカロスに到着するとスタジオの中から「おいでおいで」のサイン。
成り行きでそのまま放送に参加、23日のlive紹介もさせてもらいました。
感謝感謝。音源(時間がなくてあわてて探した)持って行って良かった。
23日のラジオ生中継も決定。何と画期的なことか。
それにしても、スタジオの中にオヤジが5人入るとむさ苦しかった。

放送終了後、塚原氏を伴ってAfter Dark Cafeへ。冗談半分だった鍋の話も決定。
ただし、今年はロシアのマダラ漁獲規制の影響のため、鍋の中身は変更ありそう。

4日、161倉庫でTAD三浦氏のブルーズを聴く。前座で塚原氏が出演するので、その
応援が主な目的だったのだが、TADさんの何とも言えない雰囲気が良かったのだ。
多分、30年ぐらいこの道で生きているのだろうが、やはりブルーズは年季だと思った。
もう一つ驚いたのは、今回の北海道公演は6泊7日の日程だそうだが、経費節約のため
ライヴハウスに寝泊まりしているのだそうだ。1500円のチャージで(しかも4日間
共通チケットで全部見ることができる)20人程度の観客では、そうなるのだろうが・・・。
ねえ、みんな、もっとlive見に出ようよ、お願いだから。


2001年3月2日
今夜22時過ぎから、FM78.1MHzラジオカロスにチューニングを合わせて下さい。
「からくり」の塚原氏が出演します。ちょっと乱入しに行こうと思ってます。


2001年3月1日
昨晩の梅津和時liveは圧巻。木管楽器(サックス、クラリネット、バス・
クラリネット)のみで2ステージのソロ演奏を行った。
1ステージ目の最初から、エンジン全開である。それで50分+60分(アンコール
含む)を吹ききってしまうのだから、凄まじいとしか言いようがない。今年の
ベスト・ライヴ有力候補である。
残念ながら、お客さんはざっと30人ばかりだった。音楽を志す者、特に管楽器
奏者には必見の演奏だったのだが。
さすがに演奏終了後は梅津さんも疲れたらしく、打ち上げ(といっても会場の
「くう」という店で歓談しただけだが)でも、最初のうちは半分放心状態だった
くらいだ。それくらい燃焼したということなのだ。

数年前、NMA workshop後の梅津さんのliveでセッションさせてもらった時、
「頑張ってもっと練習してね」とあっさり言われてしまった。その時よりは
少しは自分が成長したと思っているのだが、今回の演奏で、またガツンと
やられてしまった。
梅津さんのような世界レベルは未だ遠い。でも、あきらめないぞ。


2001年2月28日
昨晩は、アガルタ通信の月1回のリハーサル。
3月にMA-DA-RAのliveがあるので、アガルタ通信の方は、どうも気が入らない。
(ごめんね、浜さん)それでも、リハーサルが進むにつれ少しずつエンジンが
かかり、結構楽しめた。たっぷり吹けたのも久しぶりだったしね。
新加入のドラマー樋口君も、とてもリハーサル2回目とは思えないほどフィット
している。春にはlive予定あり、皆さんこちらも乞御期待。

今夜は、どくとる梅津氏のlive観戦に行く予定です。


2001年2月25日
昨日は学会と職員の結婚式。
結婚式に呼ばれると、昼間の立場上、いつもかなり上座の席になる。どうも
居心地が悪いことが多いので、カメラを持ってきて写真を撮りながら会場を
うろうろする。学生の時から結婚式の写真撮影のバイトをしていたので、式の
進行を読みながら淡々と撮影。
いつも思うのだが、結婚式の引き出物ほど無駄なものは無い。たまには、手作りの
心こもった物もあるのだが、たいていはもらっても困るものである。(選ぶ方も
大変なのだろうが)自分の時には、引き出物の代わりに、チャリティーへの寄付
という形にさせてもらおうと思っているのだが、全然相手が決まる気配は無い。
丁度ユニセフからインド地震への募金の案内が来ていたので、それなりの額を
協力させていただいた。円は、途上国では日本国内で使うより価値がずっと
高いのだ。


2001年2月22日
MA-DA-RAのliveに備えて準備順調、と言いたいところだが、多忙な小山氏の都合で
18日にリハーサルを行った後は、live直前まで集まることができない。これは
いつものことで、熟成期間を置くのも良いのである。

今日は休暇をとり、日帰りで温泉へ行く。脱衣所でのBGMが突然「美しき青きドナウ」
になった。多分MIDIで安易に作ったものなのだろう、安物のリコーダーみたいな
音色で、テンポも正に機械的。どうせ初めの「さわり」だけで終わるのだろうと
思っていたら、しっかり全曲正確に完奏されてしまった。機械音楽もまた恐るべし。


2001年2月17日
昨晩のセッションは、北大JAZZ研現役および若手OBに囲まれ、それなりに楽しい一時。
奥田君は僕が帰った時(午前1時)にはまだ叩いていた。現役が多数集合したので、
早い時間帯では余り演奏できなかったからね。(僕もちょっと吹き足りなかった)
でも、お酒を飲んでしまうと僕は演奏ダメだね。3月のMA-DA-RAのliveの時までには
改めてコンディションを整えておかねば。


2001年2月15日
13日夜、コンカリーニョで、福島町松前神楽と
宝示戸亮二の共演をビデオ係として
観戦。福島神宮の常磐井(ときわい)宮司の音楽演奏、踊りはともに秀逸。宝示戸氏の
即興演奏はいつもながら。(ちょっと新味に欠けたのが残念)最後に神楽とのセッションは
神楽のパワーの方が強かったかな。伝統芸能恐るべし。

14日は小樽フリーランスへ。サックス奏者の阿部辰也さんと久々の再会を果たす。
運転手稼業は大変らしいが、またバリバリ吹く姿を各所で見せてほしい。今の
コンディションは、リバビリ中というところだろう。

明日の晩は、ちょっとセッションに出かけてきます。詳しくは「今後の予定」を見てね。


2001年2月13日
連休中のできごとをまとめて。

9日
雪祭りを眺め、
After Dark Cafeでタイカリーを賞味。ミクマリのとはまた少々
違うのだが、これもお試しあれ。毎週金曜日に食べられます。

10日
衛星放送でサンタナのlive(再放送だったらしい)をやっていた。豪華メンバーである。
キーボードはチェスター・トンプソン。あれ、彼はドラマーのはずなのに。ドラマーは
若手のロドニー・ホームズ。ベースは80年代マイルスバンドに在籍していたベニー・
リートフェルド。パーカッションにはハービー・ハンコックと共演歴のあるラウル・
リコウ。さすがにヴォーカルは知らない人だった。
30年前の曲も、色々仕掛けを加えて演奏、相変わらず血湧き肉躍る演奏だった。さすが。

11日
小樽ビールで秋山さんたちを観戦。雪祭りのためか小樽も観光客多数、小樽ビールも
満員で入場1時間待ち。1st setは2階から観戦。2nd setになりやっと席が空き、ステージ
近くのカウンター席で観戦した。
新曲として30年前の「みんなのうた」で聴いた「トレロ・カモミロ」が。何でこんな古い
唄を知ってるのかしら。オーレ、オーレ、オーレ、オーレ、オーレ!
帰りはJRで鈴木君を含め3人で仲良く札幌へ。色々話したが、秋山さんも本当に自分の
やりたい音楽が見えてきたようだった。今後期待しよう。
3月13日の苫小牧liveでは、どうも私は彼らの運転手をすることになりそうである。


2001年2月8日
昨晩は小樽
フリーランスで奥野義典ソロを観戦。
奥野さんはJAZZファンならばよく知っていると思うのだけれど、小樽在住の
アルト・サックス奏者である。

管楽器奏者がソロで演奏することは、非常に稀なことである。基本的に、管楽器は
単音楽器で(和音が出せないわけではないが、特殊な奏法になる)、しかも音域は
それほど広くはない。しかも、演奏するのにスタミナの消耗が著しい。サックスは
トランペットよりはまだましだが、それでも数十分のソロを演奏するのは、本当に
大変なことだ。(トランペットは、通常連続して演奏できる時間は数分以内である。
皆さん覚えておいてね)
まあ、奥野さんだからこそ、ほぼ1時間近くソロで立派な演奏ができるのだが、
さすがに音が濁ったりする場面もあった。スタミナも少し考えたのか、いつもよりは
音が小さめだった気がする。もっとも、いつもセッションでは彼の真横で聴いてる
わけで、昨日とは条件が違うのだけれども。
そんな大変な思いをしてまでソロを演ってみる、というチャレンジをする彼の精神に
つくづく敬服だ。自分の場合、トランペット吹きっぱなしはどう考えても無理なので、
ソロを演る場合は、違う楽器を持ち替えながら演奏したり、ディレイやエフェクターを
使っていくことになる。しばらくソロは演っていないが(昨年、10分程度の短いソロは
行ったけれど)またどこかで機会があったらと、とても刺激を与えられたのだった。
そうだ、3月23日に少しソロの時間をとることにしよう。

live終了後、ミクマリに行ってタイカリーを賞味。電車の時間が迫っていたので、
すぐ食べられるかどうか不安だったのだが、鶏肉と野菜を炒め始めると、あれよあれよと
言う間にできあがっていた。おいしかった。これはお薦めですぞ!


2001年2月7日
この頃、物がよく壊れる。カメラのシャッターが切れるまで数秒待たされるように
なってしまい、他にも調子悪いところが元々あったので、新規購入した。次は、
ビデオデッキがテープを巻き込んでしまうようになり、再生も録画もできない。
数カ月前からテレビは画面の上の方が欠けているが、これは我慢して見ている。
DATの調子も少々変。MDもかなりボコボコ。要するに、物の扱いが雑なだけだと
言われそうだなあ。(テレビは古いだけか)

秋山洋子さん関東移住計画を知り、びっくり。確かに、活動範囲を広げるためには、
札幌在住では厳しいものがあるからなあ。年齢からいっても、今行かないとチャンスは
ないと思われるしね。成功して、身近な人が有名人になったら嬉しいと思う気持ちと、
さびしく思う気持ちとが両方で複雑。やーれんそーらんそーらんそーらん。


2001年2月4日
昨日カウンターを設置。少しずつだが閲覧(ブラウズ)してくれる人がいるのを
確認できることは嬉しいことだ。
JAZZ以外の音楽関係者にもある程度知り合いができて、liveの誘いもかかるように
なってきた。とにかく演奏の機会が得られることは、現在の自分にとって一番重要な
ことである。

昨晩はマルチスペースFで11人のソロlive観戦。黒覆面でバナナを8本完食した者、
千円札を燃やした者、自作のブラックボックスを抱えて跳ね回る者など様々。
一番インパクトがあったのは、紅一点の和服お姉様の踊り。自分も、風鈴や仏鈴を
武器として使用するけれど、和風はいいですよ、やっぱり。
純粋に音楽的なことを評価すれば、安藤君とかさい君が良かったね。
観客は半分ぐらい自分の知った顔。せっかく面白いことをやってるのに、集まる
メンバーは同じなんだよなあ。
live終了後、沼山さんと
After Dark Cafeへ。少しそこでクールダウンして帰宅と
なった。


2001年2月2日
肥満防止の講演は無事終了。自分の体験を混ぜながら話し、参加者の笑いを
とる作戦が成功した。
すぐに列車に乗り、昨晩遅く札幌へ戻る。列車の中で咳と鼻汁症状が再悪化。
今日は移動日扱いで休みだったから助かったが、ハードスケジュールが体に
かなり来ている。それでも、明日はあそう企画liveを見に行かねば。


2001年1月30日
何とか講演の資料を作り、夜は久々のアガルタ通信リハーサル。
新メンバー樋口君は好調、その他のメンバーは新曲に難渋。
28日に対バンした「うりみっつ」という女性バンドと、アガルタ通信の
ベーシスト瀬尾君は知り合いらしい。本当に音楽業界は狭いわ。

リハーサルを終了すると、女性ヴォーカルと金管楽器の音が聴こえ、なかなか
シュールで面白い。どんなバンドなのかと思ったら、女性ヴォーカル入りロック
バンドと、ブラスバンド(あるいはオーケストラの金管セクションかも)が
別々の部屋で練習していたのだった。


2001年1月28日
26日夜に東京から戻る。翌日のニュースで「大雪のため航空ダイヤ混乱」の
ニュースを見て、日頃の心がけの良さを確認。

夜は遊音でlive。思ったより聴衆多し。知った顔はほとんどなく、若者
ばかりだ。
演奏内容は「橋本トリオのアガルタ化」となってしまった。ごめんね、
橋本君。でも、聴衆の反応は上々だったから許して。
24日に購入した新兵器も、上々の調子だった。

その後、Bar Pearlの閉店記念liveでも橋本トリオと演奏。全然リハーサルも
やってない割りにはまずまずの演奏か。もっとも、遊音で精力使い果たして
しまったので、自分はバテバテだった。
Bar Pearlの隣の店で飲んでいた、中学・高校の同期生に偶然遭遇。店の
好意でliveの無料見学をOKしてもらった。
閉店の日に初めて店に行って、いきなり演奏させてもらうという失礼を
許してくれた桑田君に感謝。管楽器が必要な時はいつでも呼んでね。


2001年1月24日
先々週の日曜日に働いた分の代休日である。

まずは北広島市へ。駅前にある芸術文化館のロビーコンサートに出演する
八條美奈子さんをチェックに行く。1曲目の「白鳥」(サン・サーンス作)に
続いて、セザール・フランク作のヴァイオリン・ソナタをフルートで演奏。
とてもロビーコンサートとは思えない、意欲的プログラムである。
以前に聴いた時よりも音色が端正になった気がするが、それにしても
この人は、自分の世界が創れる人である。もう少しパワーがあれば、表現の
幅が広がるだろう。共演のピアニスト小杉恵さんは、いつもながら気遣いの
細やかな演奏。ただ、今回は少し準備不足の感あり。

気分よく札幌に戻り、楽器のメンテナンス用品を買いに某楽器店へ。それで
終わるはずだったのに、電気楽器のコーナーへ行くと、前々からチェック
していたマイクが、半額で売られているではないか。早速購入である。
27日に、こいつが活躍するかどうかは、まだ微妙だが。

25〜26日は、東京で「お勉強」である。明日は早い飛行機なので、もう
寝ます。


2001年1月23日
まだ咳がとれない。今日、健康診断で胸部X線写真を撮ってみたが、幸い
全く異常なかった。今年の風邪はしつこいです、皆さんお大事に。


2001年1月22日
次回の道東出張の仕事内容は「体重コントロールで生活習慣病予防」という
セミナーでの講師である。よりによって雑食性肥満体の私が講師なのか。
前回担当した先生が几帳面な方なので、余計にやりにくい。町の保健婦の
皮算用と少し異なることを話そうかと、密かに企んでいる私である。
それにしても、資料作りが面倒だ。


2001年1月21日
昨日はまずススキノの某所に立ち寄り、トランペット・ワークショップ(?)

自分のハイノート・トレーニングを兼ねて、「グリーンジャケッツ」氏の
新品トランペットを「音慣らし」した。
夜は小樽「あじや」で雑音系新年会。27日の簡単な打ち合わせと5月後半に
行われる「あじや」主催のイヴェントへの出演を打診される。

昼まで爆睡してメールをチェックすると悪い知らせが。釧路ツアーは実現
困難になったらしい。でも、早い時期に「からくり」はスタジオ録りしたい
ところだ。


2001年1月17日
夜明けの凍てついた道を歩いて検診会場に着くと、受診者が待っている
という仕事を終え、昨日札幌に戻る。結局風邪は完治せず、それどころか
昨晩は発熱した。(体温ちゃんと測ってないけれど明らかに寒気があった)
やっぱり、「早起きは体の毒」という私の自説が証明された形となった。

釧路でのliveの作戦会議は、THIS ISが臨時休業のため、雑音系新年会
道東支部会のみが出席者3人で(安藤氏、釧路芸術館学芸員の福地氏と)
ひっそりと行われた。12月に行ったダンスと音楽の共演videoを見ながら、
福地さんの鋭い分析を拝聴。結構好評だったので、6月の本番に向けて
少し自信が持てた。

20日は雑音系新年会に行けるかどうか微妙だなあ。何とか27日までには
体調を戻さねば。新年になってからほとんど楽器を吹いていない私である。


2001年1月10日
しばらく旅に出ます。といってもセンチメンタル・ジャーニーではなく、
出稼ぎであります。ついでに釧路で2月の「からくり」liveの作戦会議兼
雑音系新年会道東支部会も、かな。
それにしても、なかなか風邪が完治しない。管楽器はこういう時困る
のである。出張先で温泉療法・・・できればよいのだけれど。


2001年1月7日
今晩、今年初のライヴ観戦。Mipochiさんという女性シンガー・ソング・
ライターのソロに、2曲オルガンで佐藤昌子さんがゲスト参加。
昌子さんは、昨年末に某所でライヴを見て以来、すっかりファンに
なってしまったのだけれど、今晩も良かった。spiritを感じさせる
素晴らしいオルガン・プレーヤーである。今晩は唄わなかったが、
シンガーとしてもなかなかである。
もう一つびっくりしたのが、Mipochiさんのダンナ様が、秋山羊子さんと
ユニットを組んでいる川越さんであるということだった。(註:私は自称
「あきやまにあ」というくらいの秋山さんファンである)1月14日に
After Dark Cafeでライヴがあるので、皆さん観に行って下さい。私は
道東出張で、観戦不能・・・。


2001年1月4日

とうとう重い腰を上げて、ホームページを立ち上げることにした。
人前での演奏が多くなってくると、とても他人の掲示板荒らしだけでは
伝えきれない情報が出てくる。
とてもグラフィカルな見栄えの良いページを作っている時間はないので、
演奏活動情報だけはタイムリーにアップロードすることだけを考えて
います。これから皆さん可愛いがって下さい。

 

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