日々の雑感


2003年12月17日
  東京遠征が終わり、今年の演奏は一段落。小さな、まさに「ロフト」
そのもののギャラリーに約10人のお客さん。浅野さんの撮った北海道の
写真に囲まれ、影山さんの撮った都会の夜景のスライドが投影され、
Sachiko女史の小音量の高周波。とても不思議な一夜だった。
  びっくりしたことが3つ。まず、このホームページを見て、会場に
来てくれた人がいたこと。彼もミュージシャンで、音源をいただいた
のだが、まだ聴いておりません・・・。次に、浅野さんのお師匠さん格の
写真家の方が、とても演奏を喜んでくれたこと。そして、ギャラリーの
管理人のSAJI君が、実は北海道出身のバリバリのDJで、PAをばっちり
やってもらえたこと。しかも、彼は浅野さんの大学の後輩だったのだ。
  今回の会場のFOTOKIOは、残念ながら来年の1月で閉じてしまうそうだが、
違う場所にもっと広い場所を借りて、色々イベントができるスペースを
つくりたいとSAJI君は計画しているらしい。そんなこんなの遠征だったが、
収穫は多かったな。


2003年10月20日
  約110日の空白。暑くなかった夏をあっと言う間に通り越し、
もうすぐ雪の季節だ。そういえば、大雨の中の野外イベント、と
いうのもあったし。
  8月は、写真家さんとの共同企画で毎週演奏していたけれど、
おかげで夏にMA-DA-RAのメンバーが招集できたし、からくりも
2年ぶりに復活した。12月には、東京のギャラリーで演奏する
機会ができた。元々の話を持ってきたEASTERさんは、かなり疲れて
しまったようだが、こちらはgive and takeでチャンスを貰えた。

  実は出張先の宿でこれを書いているのだが、高速道路を運転中に
道に落ちていた異物(何だったのかよく分からない)を踏んで、
右側のタイヤ2本がパンク。踏んだ所がインターチェンジの近く
だったので、スピードを落としてとにかく出ると、後輪はバースト
状態で、煙が出ている。料金所の人が「そばにガソリンスタンドが
ありますよ」と教えてくれたので、何とかそこまで辿り着いた。
前輪はタイヤ修理、後輪は修理不能でスペアータイヤに交換。
いわゆるテンポラリータイヤなので、そろそろと目的地まで1時間強
かけて到着した。明日もおとなしく慎重に帰らねば。無事着いたら
この雑感がアップされるはず。


2003年7月1日
  "SUNDAY NIGHT PRAYER MEETING 2"も無事終了。何だか演奏が
始まる前は、余りいい話が無かったのだが、一旦ステージに立つと
会場の熱気に押されて、荒っぽいながらも熱い演奏に。去年より
天気は寒かったけれども、ステージ上は暑かった!
  けれども、このイベントで一番面色かったのは、会場の玄関先で
行われていたライブ・ドローイングだったような気がする。
もちろん、ステージでの演奏はいいバンドを揃えただけあって
どのバンドもそれなりの水準だったのだが。
  "qodibop"の演奏を聴いて会場を出た。主催者の木野君が見送って
くれる。本当にスタッフのみんなに感謝だ。そして、もっともっと
変な事やっちゃおうぜ、と勇気づけられる一晩だった。


2003年6月2日
  昼の仕事は現在最盛期。しかも制度は変わるは、職場が移るわで
大変な状態。まあ、観劇したり、ライブも観たり、セッションにも
顔を出したりはしています。体調も落ち着いております。
  明日から道東へ行ってきます。ノートパソコンは一応持参予定。
土曜の夜遅くに帰る予定です。

  アガルタ通信のサポートメンバーに面白い人が入りました。
どうぞお楽しみに。


2003年5月5日
  1か月間ホームページ更新してませんでした。昼間の職場の引っ越しや
引き続きの体調不良で・・・。すみません。
  昨晩のアガルタ通信ライブも、予想通りのスタミナ切れ。でも、全体の
演奏はまずまずだったのでは。やっぱり、いいバンドだなあ。

  体調と昼間の都合により、しばらくはアガルタ通信以外の活動は
控え目となります。夏以降にぼちぼちと、かなあ。


2003年4月6日
  3月20日、ポケットトランペットを忍ばせて「しみたま」ライブに
出没。客席にはバレン座関係者多数。2-3曲吹ければいいかな、と
軽く考えてたら、結局はお店のマスターも参加、深夜に及ぶ大セッション
大会になってしまった。そのツケが翌日に。

  21日、アガルタ通信リハーサル。前日に演奏し過ぎたため体調不良。
実は、2月頃から右下腹部痛が続いているのだ。特に立っていると痛む。
トランペットを吹く時も痛む。黙って座っていれば大丈夫。どうもヘルニア
らしいのである。MA-DA-RAのライブを見に来た方は気づいたと思うが、
ずっと座って演奏していたのは、腹痛のためだったのだ。
  へろへろの状態でリハーサル終了、翌日に不安を残し・・・。

  22日、「くう」でライブ本番。何と、「専用シート」が用意してある。
これは本当に助かった。自分が吹いていない時に座れたおかげで、どうにか
ライブは無事終了。
  年度末、3連休の中日ということもあって、お客さんは少なめだったが、
教育大のピアノ科の先生が来てくれた。彼女が連れてきてくれたお客さんが
Fabioさんと同じ大学の先生で、アフターアワーは4人で話し込む。
  そんな中、「この次は5月4日に決まりました」と、浜さんの声が。体調
戻るかなあ。

  23日、この日は客として「くう」へ。1st setは完全に貸し切り状態。
2nd setには2人お客さんが増えて、3人でゆっくりとラテンのリズムに
身を浸す。

  26日、シアターラグの水曜劇、"Die Puppen Spiele"観劇。ラグリグラ
劇場に行くのは、昨年のスマイルロケット祭に出演して以来だ。主演女優
から直筆の手紙が来ていたので、これは行かねばならない。客席には、
20日の「しみたま」ライブで見た顔が数名。
  新聞記事やTanakara嬢のレポートを読んでいたので、ネタバレ状態で観た
のだが、とても面白かった。まさに福村まりワールドである。踊れる女優で、
しかも独特の危ない雰囲気を持つ彼女の特徴を、脚本がとても生かしている。
ただ、音楽を演っている者からすると、少々いただけないセリフがあって
ひどく気になってしまった。まあ、芝居の本題とは余り関係のないセリフ
なのだけれども、間違いはいけませんねえ。

  28日、ようやく車を救出。やれやれ。

  4月1日、年度が変わるとともに昼間の稼業は繁忙期に突入。声が枯れる。

  5日、クラップスホールで、留美嬢他のライブ観戦。観客に知人数人。
ノイズ系イベント構想のアイディアもちらほら。ぜひ実現させたい。

2003年3月27日
  20日、平岸"TONE"で「しみたま」ライブ観戦&セッション参加。

  21日、アガルタ通信ライブ直前リハーサル。

  22日、「くう」でアガルタ通信ライブ。

  23日、「くう」で"LESTE E NORTE"(レスチ イ ノルチ)ライブ観戦。

  26日、ラグリグラ劇場  で、"Die Puppen Spiele"観劇。

  以上、詳細は後日に。


2003年3月19日
  15日、「翻訳業」の中間報告他の会議で大阪へ。思ってたより寒い。
でも、空港から会場への車窓からは梅の花が見えた。今回は寄り道を
する元気もなく、翌朝の飛行機で札幌に戻った。気温は札幌の方が
低いし、雪も沢山残っているのに、こちらの方がやっぱり心地良い。

  18日、Mikaさんの帰郷ライブ観戦。以前に観た時よりもステージ慣れ
してきたかな。聴いた場所が前回よりもピアノのすぐ近くだったので、
彼女の曲のディテールがはっきり聴こえた。けっこう凝った作りの
曲だったのだと、改めて気がついた。
  たまたま一緒のテーブルで聴いていた方が、Mikaさんの恩師の
某作曲家先生。彼女の演奏を聴きながら、メモを音符で(!)とっていた。
秋山羊子さんも教えたはず、と思い出したので彼女のことを切り出したら、
「彼女は優秀でしたね」と、ちゃんと覚えていた。

  誰もが心配している世界情勢。CNNのテロップは、"crisis"から
"countdown"に変わった。日本が米国支持をする理由は北朝鮮情勢の
関係かららしいが、自分も含めて国民の大多数が納得していないだろう。
  不思議なのは、ドルが円とユーロに対して高くなっていることと、
原油価格が値下がりしていることだ。世の中、わからないことが多過ぎる。


2003年3月10日
  3月7日、MA-DA-RAライブ終了。お客さんは少なめ。多分、一番最初に
"Page One"でライブを演った時以来のお客さんの少なさだった。それでも
何とか14人確保、メンバー1人当たりでは5人弱か・・・。
  演奏の出来は、自分ではある程度満足。早めに会場入りしてサウンド
チェックを入念にしたのが良かったようだ。特に、小山君が自分の出音を
把握できたので、安心して演奏に入って行けたらしい。今回の演奏は
後日ホームページ上で公開しようと思ってます。

  先程、職場からの帰り道で「おっと西村君」に遭遇。修士論文を
提出するために1週間だけ札幌に戻ってきたらしい。それにしても
恐ろしい(?)偶然。


2003年2月28日
  19日の雑感にまた少し追加しました。

  先週から「翻訳業」に励んでいる。昨年秋から「この冊子を訳しま
しょう」と、大阪の先生から言われていたのだが、年度末になって一気に
ハッパがかかった。それを口実にしてノートパソコンを買い換えてしま
った。前のはMMX Pentium 166Hzだったので、
大幅性能アップ。B5サイズで
持ち運びも便利。これで10万円である。しかし、作っているメーカーは
赤字決算だとか。大変な世の中である。翻訳の進み具合は・・・秘密。


2003年2月23日
  19日の雑感に大幅追加しました。

  22日、MA-DA-RAリハーサル。どうも1曲、アレンジと構成がしっくり
決まらない。リハーサルはあと1回のみ、いざとなったら本番で・・・。
  リハーサル終了後、「くう」で
廣木光一(g)BAND + 一十三十一観戦。
とは言っても、最後の曲とアンコールを聴けたのみだった。15日も
良かったが、この日は更にひとみちゃんのテンションが高かった。
打ち上げに残ったメンバーは小樽JAZZ clubのメンバー(プレーヤー)
多数。久し振りに皆さんと歓談。
  4月に彼女のアルバムが出るのだが、その中にトランペットが入って
いる曲があって、「本当は西村さんに演って欲しかったんです」という
ことらしい。CDではどんな仕上がりになってるのかなあ。
  今年も7月に
"SUNDAY NIGHT PRAYER MEETING"があるようです。


2003年2月19日
  2月5日、「くう」で粟井和香子オルガン・ライヴ観戦。
  粟井さんはキーボードの中野ゆうき嬢の師匠だが、今回MA-DA-RAの
小山君と共演することに。演奏はダイナミックで猛獣系(失礼)で面白い。
ただ、バンド(コンボ)での演奏経験が少ないのかな、というところが
どうも見えてしまう。小山君は苦労していた。今後ステージ経験が
増えたら、かなり期待できそうである。何といっても基礎ができて
いる人は強いのだから。
  終演後、今回粟井さんが使ったデジタル版ハモンドオルガンに
触らせてもらった。気持ちいい!ジミー・スミスも弾いた楽器だそうだ。
同じスズキ楽器製でも、自分が持ってるのは鍵盤ハーモニカです。

  2月7日、雪祭り会場でたまたま凄いものに出会う。中国から来た
「高足」なる伝統芸能の踊りを演っていたのだが、そこで音楽を担当
していたチャルメラ奏者の演奏が凄かった。ベンディングにダーティー
トーン爆発、伝統音楽恐るべし。

  2月8日、「天国バナナの夜vol.4」参戦。
  2回目から連続出演だが、今回は「ちちこかん」なる怪しいユニットに
ゲストとして登場。あっと言う間に10分間経過、演奏終了。うーん、
前座のパフォーマンスということで許してくださいな。即興演奏をする
というのは、生易しいものではありません。
  他の対バンについては、今回はコメントしません。ただ、161倉庫という
会場(はこ)は、演奏者の技量がお化粧なしで出てしまう所だと改めて
感じられた。
  打ち上げは3時過ぎまで。なぜか、BGMがMilesの"On the corner"だった。
本番で吹き足りなかった分は、バースペースで"Midnight"SHINYA氏と
セッションしてきました。実はブルース好きですよ、ワタクシ。

  10日、テクノ系DJイベント"SASORI"観戦。以前に共演したGrogman氏の
AerostichレーベルDJを中心にした月1回のイベントだが、月曜日開催で
夜遅い(クラブイベントはこれが辛い)時間帯なので、なかなか観戦でき
なかったのだ。単なるDJ playよりは、コンピュータやリズムマシン、
サンプラーを使った"live"の方が数段面白かった。

  15日、呑喰龍(どんくーろん)開店2周年記念イベント観戦。
  出演者に友人、知り合い多数。特に、学生時代からの付き合いの本間哲
君と、一十三十一嬢が共演するというので、興味津々で出かける。かぶり
つきでステージを観たが、期待以上の演奏だった。確実にひとみちゃんは
成長している。
  更にびっくりすることは、有名ジャズ・ミュージシャンと進行の深い
アクト・コーポレーションの川村さんが彼女をとても買っていることだ。
恐るべし、川村年勝。彼の仕掛けで今週末には「くう」で廣木光一氏との
共演が実現する。これも面白そうなのだが、MA-DA-RAのリハーサルと
重なってる・・・。
  それにしても、本間君と自分が知り合ったのが1980年。一十三十一嬢や
この晩の観客のほとんどは赤ちゃんか、まだ生まれてない(爆)。

  マイケル・ジョーダン最後のNBAオールスターゲーム。今回はファン投票
では選ばれなかったが、大学の後輩のヴィンス・カーターからスターターを
譲ってもらい出場。さすがに往年のスーパープレイは影を潜めている。
  今回のオールスターには高卒の選手が4人、しかも全員スターター。
MVPも高卒のケヴィン・ガーネット。アメリカ以外の出身の選手も多かった。
時代は変わる。

  相変わらず車は埋まってます。


2003年2月2日
  車が自宅の書庫前で埋まってしまった。このまま春まで・・・と
いうのは困ったものだが。


2003年1月31日
  いつの間にやら今日で1月も終わり。風邪からの回復が遅く、
やっと正常に戻りつつあるところ。それでも倦怠感がとれない。

  12日のことを少し書いておこう。
  ArtWarmは、メインホールよりもカフェスペースの方が倉庫本来の
雰囲気と響きが保たれていてよろしい。今回は自分も動きながらの
演奏、パフォーマンスだったのでマイクやアンプを使わなかったの
だが、ちょうど良い音量だった。安藤君は新しいコンパクトなベース
アンプを持参、これがまた良い音だった。
  残念ながら冬の石狩というロケーションのため、お客さんは少々。
でも、会場の良さと主催者の想いとが、我々に何かを確実にくれた。

ちょっと残念だったのは、ビデオでの記録が残らなかったこと。
主催者の方で用意してくれていなかった・・・。でも、
カピバラカフェ
でのイベントには、また参加したいなあと思う。

  3月はMA-DA-RAライブとアガルタ通信のライブがあります。また応援
宜しくお願いします。その前に、161倉庫で遊ばせてもらいます。


2003年1月14日
  年末年始の休みが多かった割りには、疲労を回復する時間が
とれず通常業務に突入、やはり風邪にやられる。何とかひどく
ならずにMA-DA-RAのリハーサルや12日の
"capybara art night"を
終わったと思ったら、13日に見事に発熱。あーあ。
  12日のイベントも演奏(というかパフォーマンス)も、いい感じ
だった。体調が回復したら書き直します。

2003年1月1日
  まずは年末のまとめ。

  12月20日、久々にAfter Dark Cafeに寄り、3月のMA-DA-RAの
ライブのブッキング。ちょうど母校のJAZZ研部長と友人(二人とも
女の子)が来ていて、話し込んでしまう。JAZZ研が何とかつぶれずに
残っていて、嬉しい。

  21日、"Sons and Daughters of Light vol.4" 出演。
演奏というよりパフォーマンスだったが、楽しくできた。
出番終了後、平柳さんと話していたら、それを傍で聞いていた
女の子(実は主催者の木野君の友人だった)3人に質問責めに会う。
このシリーズは4夜とも大入り満員で大成功。木野君お見事でした。
終演後、木野君やスタッフ、木野君の友人達と話し、3時過ぎに
みんなで「吉牛」へ寄って帰る。

  22日、"capybara X'mas night" 出演。前日とは全く異なる
雰囲気の中での演奏だったが、MA-DA-RAのサウンドには良く合った
会場と雰囲気だった。演奏の出来自体は今一つだったけれど、
会場がずいぶんと自分を助けてくれた。ここでも主催者の佐藤さんの
友人と話し込み、記念撮影もして帰る。

  30日、一灯庵でスペシャルカレー(?)をいただいた後、中学の
ミニ同窓会。4時に喫茶店集合とスタートが早かったので、自分は
12時過ぎに早退(爆)。朝5時近くまで粘っていた奴もいるらしい。
恐るべし43歳軍団だ。

  31日、161倉庫でsurfinsにゲスト参加。というか、何だか音を
出したくなったので楽器持って行っちゃった、という乗りだった。
演奏の途中から、急にトランペットの音の出が悪くなって大苦戦
だったのだが、ヤヲ&ナヲが良かったので事なきを得る。
  すぐに小樽へ移動して、cafe mikumariへ。静かに新年を迎えた。
「冬の夜をいっそう寒く過ごすための音楽」を選曲し、DJをやった。
札幌帰宅は4時でした。


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