日々の雑感


2002年12月15日
  2日、21日の演奏開場の「あじと」下見と出演者で打ち合わせ。

  5日、久々にMA-DA-RAでリハーサル。

  7日、OFFICE EASTERの忘年会。

  8日、札医大演劇部定演観戦→遊音でライブ観戦。

  9日、「あじと」で音出しテスト(和太鼓とトランペットの音が、
会場の外にどれくらい漏れるか)。

  12日、MA-DA-RAリハーサル。22日は新曲を演らないので、簡単に
終了。

  13日、カウンターアクションでライブ観戦。いつもながら音の悪い
会場である。

  14日、ArtWarmで打ち合わせ→平柳マリ子ダンスクラス忘年会→
Sons and Daughters of Light vol.3観戦。

  ふう。


2002年12月1日
  11月29日、留美&F.H.C.+2観戦。ステージ上の山田さんの存在が
ヴィジュアル的にも何とも言えない雰囲気を醸し出す。もう少し
ギターの出音が大きかったらなあ。留美嬢は相変わらず留美ペース。
才能をこれからどう発揮していくのか、楽しみだ。

  11月30日、「結核談話会」終了後、急いでPRAHAへ向かう。自分は
今回共演するメンバーを全員知ってるけれど、他のメンバーはすべて
初顔合わせ。でも、すぐにみんな打ち解けてくれた。
  他の出演者のサウンドチェックに時間がかかり、我々がサウンド
チェックを始めたのは開場の10分前。これだったら、もう少しゆっくり
してくるんだった・・・。
もちろん、我々のサウンドチェックは順調に
終了。
  出番が最後なので、安藤君、Fabioさんに加えてsurfins小川君と
4人で「へんみ」という中華居酒屋へ。多分20年以上前からある店だが、
入るのは初めてだ。辛くて量の多い(Fabioさんが「多い」というのだ)
中華料理で精をつけ、PRAHAに戻る。
  会場は大入り満員。居場所がないので奥の黒田君の部屋で出番を待つ。
札幌口琴会議の演奏は、少しだけ観ることができたが、素晴らしかった。
我々が演奏を始めた時間は、かなり遅くなっていたのだけれど、お客さんは
帰らない。おかげで、杉吉さんが絵を描くスペースを確保するのが一苦労。
多分、完全即興演奏なんて聴くのは、初めてのお客さんがほとんどだったと
思うのだけれど、皆さん喜んでくれた。
  終演後お客さんが少なくなってきたら、壁一面に張られた自分たちの
絵がよく見えてきた。PRAHAが、いつものギャラリーとしての顔に戻って
イベントは終わったのだ。

  今朝、寝坊して起きてきたら、和太鼓の亀田さんからfaxが来ていた。
結局、12月21日の
Sons and Daughters of Light vol.4にも出演する
ことになりそうだ。


2002年11月25日
  19日、今年最後の
アガルタ通信ライブ。やはりお客さんは少ない。
モニターが使えないので、自分の音はPAからかすかに聞こえるのみ。
多分、ドラムスとベースはもっと悲惨だっただろう。でも、なぜか
良い演奏になった。ZIPPY HALLはギターアンプがいいので、浜さんと
山田さんは大喜びだった。

  20日、15年振りに新しいテレビが到着。あれ、右側のスピーカーから
音が出てないぞ、と思ったらコードの断線だった。でも、セッティング
した電器店の人は気づかなかったのかしら。
  テレビのセッティングもそこそこに、「あじと」で偶成天(ぐうせいてん)
観戦。ゆっくりとした、しかし無駄のない動き。喜び、怒り、驚きと
いった表情が刻々と変化していく。心洗われるものだった。

  24日、ArtWarmへ打ち合わせに行く。小山君の都合が運良くついたので、
12月22日は久々にMA-DA-RAで演ることにした。若手のVJ playerも入る
らしい。
  その後、ベッシーホールへ足を伸ばす。開場が遅れて待っていると、
下のスタジオからトロンボーンの音が。あれ、と思ったら間もなく
西条さんが現れた。キーボードの(WHOOPSでは鍵盤ハーモニカ担当)佐藤
昌子嬢も。"じゃんぼばんど"のリハーサルだったのだ。
  受付で"ジナフラ特典"をもらって入場。メンバーチェンジ後初めての
Original Flava観戦だったが、くつりん嬢が本当に楽しそうに歌っていた。
でも、まだまだこれから本当の試練が待ってるんだろうなあ。


2002年11月17日
  12日夜、寝ようと思ったら突然テレビがラジオ状態になっている。
まあ、1年以上前から画面の上端が欠けていたので、買い換えなきゃあと
思っていたのだが。あわててテレビ購入を決めたが、届くのは20日に
なるそうだ。それまでは、父親が入院していた時に活躍した小さな
テレビが復活している。

  古いパソコンは、やはり調子が悪いので、思い切ってマザーボード、
CPU、ハードディスクを交換、メモリーも増設。要するにケースとCD-ROM、
フロッピー以外は総入れ替えなので新しいパソコンを買ったのと同じだ。
OSをインストールし、少しずつ環境を移行中。と思ったらホームページを
借りているiswebが合併してしまい、ホームページの設定変更の手間も。
カウンターの設定がうまくいかなかった。あーあ。

あさっては今年最後のアガルタ通信ライブです。平日の夜遅くからの
ライブですが、宜しくお願いします。


2002年11月10日
  油断していたら、3週間も雑感を書いてなかった・・・。

  10月26日、石狩のArtWarmを訪れる。そこでカフェをやっている
佐藤さんから突然出演依頼のメールが来たのだ。なかなか気持ち良い
空間。おそらく12月と来年の1月に演奏することになりそう。

  11月3日、天国バナナの夜 第3夜遊音出演。思っていたより観客が
多くて良かった。きっとRapis Pinoのファンが多かったのだろう。
自分たちの演奏は少々バタバタ。でも、「ふしぎ」「サーカス」
「おもちゃ箱」という感想が来たので、狙いは成功かな。

  6日、アガルタ通信小樽ライブ。。いつにも増して(?)お客さんが
少ない。今回はドラムレス編成だったので、久々にパーカッションを
かなり演ったら、翌日手の神経痛が悪化・・・。


2002年10月21日
  19日、スマイルロケット祭で共演した亀石さんが出演する「邪眼」
観戦。会場のレッドベリースタジオは、小さな礼拝堂のようなスペース。
12時で止まった時計が掛けられている。
  演目は「元祖(なのかな?)シンデレラ」である。「怖い話」という
触れ込みだったが、実際にはそうでもなかった。亀石さんは数役を
掛け持ち、2階からは天の声が聴こえてくる。床下をバンバン叩く音も
聴こえる。会場の特徴をフルに使ったステージだった。
  亀石さんがシンデレラの役になった時、妙に可愛らしくなっていたのが
かえって怖かったかなあ・・・。

  帰りに久々にOPTICAに寄る。そこにはギャラリーストロベリー
写真展をやったばかりというお兄さんが。世の中狭いものだ。そう
いえば、亀石さんもあそこで演じたことがあるらしい。

  更にPRAHAへ移動。黒田君が若者を集めてミニパーティーをやって
いる。近々CDをリリースするという若いDJが、なかなかいい感じの
演奏を聴かせてくれた。
  これから週末にPRAHAではパーティーやイベントを続けていくらしい。
あそこは単なるギャラリーではなくなるようだ。楽しみ。


2002年10月14日
  13日、毎年恒例になった「音座なまらいぶ」参加。いつもながら
小樽の実行委員の方々の努力には頭が下がる。今年は出演が比較的
早い時間帯で、自分の演奏が終わった後に各会場をあちこち回って
リスナーとしても楽しませてもらった。安藤君が橋本洋輔トリオに
飛び入り参加、今回の嬉しいハプニング。
  今月はライブ活動はこの1回だけ。11月の予定は今日アップしました。
おそらく11月30日にも演奏予定が入るはず。ご期待下さい。


2002年9月29日
  19日、[onedotzero_nippon 前夜祭]観戦。スマイルロケット祭で
共演したgrogman氏がDJ、P-CADがVJで大活躍。素晴らしかった。

  21日、「くう」でルミ嬢とMegumi嬢の女性ヴォーカル対決(?)
ライブ観戦。ルミ嬢は個性爆発。よしよし、私が見込んだだけの
ことは充分ある。
  Megumi嬢はsoul系懐メロ路線。"lady soul"大好きなんだなあ、
って改めて納得。

  24日、キタラ小ホールで久々にクラシック観戦。昔の同級生が出る
ので行ったのだが、なかなかのもの。共演の針生さんは、更に素晴らしい
歌声を聴かせてくれた。ただ、伴奏がねえ・・・。

  28日、Miles Davisの命日にアガルタ通信ライブ。自分の出来は
決して良くなかった。ただ、即興演奏の経験が多くなった分、どんな
場面でも対応できる幅が広がっているのが、破綻をしなかった理由だろう。
Milesは「降りて」来なかったが、なぜか浜さんのギターの弦が3本も
切れた。特にいつもより力を入れて弾いているようには見えなかったのに。


2002年9月16日
 スマイルロケット祭、終了。14日はダンサーが集まるかどうか
開演ぎりぎりまで心配したが、メンバーさえ揃えばこちらの思った
通りに。「クラブ・ラグリグラ」作戦大成功である。特に慎太郎君は
この一夜でファンを増やしたね。
 15日は、一転シリアスな演奏。「祭」とはちょっと違った雰囲気に
なった。最後、どうしてか自分が赤ん坊にかえって、人形を泣かせて
しまった。
 打ち上げ、40代野郎が4人揃って濃い話。イナダ氏の興味深い話が
聞けた。今井さんが電化マイルスバンドの話をしたので、ちょっとだけ
"Sanctuary"のフレーズを吹いたり。
 さあ、少しだけ休んでまた次に。11月の演奏のオファーがすでに
来ています。決まったらホームページでも公開します。


2002年9月5日
  書きそびれていた出来事をまとめて一気に。

  8月23日、PRAHAで若い音響系のアーティストとセッション。
黒田君は画家だが、音楽にもかなり興味があるらしく、定期的に
実験的なセッションを行っていきたいらしい。また少し、輪が広がる。

  8月27日、WHOOPS(「ウープス」と呼びます。ラジオでは間違って
呼ばれてましたが・・・)がid-creationに出演するので、ラジオ
カロスのスタジオへ。鍵盤ハーモニカを持ち込み、生演奏に乱入
しようかと思ったけれど、二人の演奏にいつにない緊張がみられ
たので、乱入はせず。控室で、佐藤昌子嬢と鍵盤ハーモニカの奏法に
ついて色々盛り上がる。

  8月30日、大友良英 "ANODE" 観戦。合計10人のミュージシャンが、
会場(琴似パトス)の中に観客を取り囲むように配置され、観客は
丸椅子に座って、どの奏者の方向を向いても良い、というライブ。
1st setは静かな感じの2曲(正確には1曲目〜2曲目〜1曲目に戻る)。
2nd setは一転して大音量30分一本勝負。2nd setが始まったとたんに、
観客がみんな立ち上がって会場内をうろうろしはじめた。自分は
しばらく席についたまま大音量の中の静寂を楽しんだ後、他の観客が
落ち着いたのを見てから少し場内を動いてみた。もう一度席に戻って
ほどなく、30分が経って演奏は終わった。
  会場では知った顔が何人も。ミュージシャンよりもアーティストの
人が多く来ていた。ちなみにミュージシャンはF.H.C.、アガルタ通信、
からくりのメンバーだった・・・。

  9月1日、アガルタ通信のリハーサルの後、<天国バナナの西村君!>
出演。
161倉庫が熱い(暑い、を通り越している)のは覚悟の上だったが、
出番が3番目で少し助かった。それでも、汗がマウスピースの中に入って
しまい、音の出が非常に悪い。そんなこともあって、安全運転な演奏に
なってしまった。他のバンドが熱い音ばかりだったから、我々はあれで
良かったのかなあ。観客の皆さん、本当にお疲れさまでした。

  3日、スマイルロケット祭宣伝のためid-creationに出演。湯沢さんと
長田さんが現れるが、長田さんはほとんど発言せず。湯沢さんと自分の
二人でしゃべっておりました。3日間通しで1500円はお得です。
出演
メンバーもなかなか豪華です。みんな来てね。

  4日、アガルタ通信定例フリーランスライブ。今回はかなり不安一杯の
選曲だったが、ライブ直前の打ち合わせだけで、何とか本番はまずまずに。
涼しかったのも助かったし。


2002年8月22日
  19日、EASTERの二人に紹介されて、ピアニストのKENさんと会う。
「初めまして」と挨拶すると、「ずっと前に、New Orleans Clubで
宝示戸トリオと一緒に演奏してたのを観たことがあります」と言われて
しまった。その一言で、彼とはコミュニケーションがとれてしまった。
New Orleans Clubという店が札幌駅北口にあったのは、もう15年前の
ことになる。彼はその後アメリカに渡り、昨年秋に札幌に戻ってきたの
だそうだ。
  ミーティングしたのは「ぴあの」という円山近くのライブハウスで、
当日はヴォーカルとピアノとヴァイオリンのトリオが出演していたが、
EASTERの二人も途中で一曲唄い、KENさんと自分も2曲演奏。彼がとても
楽しそうだったのが嬉しい。これで、結婚式の余興を含めると今月は
人前で演奏したのが既に5回目だ。

  今日の昼、偶然PRAHAの住人、黒田君に会う。「明日のパーティーに
出演してもらおうと思ってて、連絡するつもりだったんです」と。
そんなわけで、明日も演奏することになりそうです。


2002年8月18日
  14日と16日は、"DANCE WEEKS 2002"観戦、そして17日はファイナル
パーティーと、コンカリーニョに別れを惜しむ1週間に。特に、17日は
急遽平柳さんとパフォーマンスをすることになり、本当に最後の時に
演奏の機会をいただいて、とても感謝しています。
  平柳さんとのパフォーマンスは、何だかコントみたいな展開になった
けれども、多分、二人とも楽しくお別れをしたかったのだと思う。
客席にいた岩下徹さんに「面白かったです」と言ってもらえて感激。
  パーティー終了後も、ピアノの清水さんやヴォーカルのたまさんと
セッションしたりして(大きな音にならないよう気をつかいながら)
いつまでも名残り惜しかったけれど、1時過ぎにはコンカリーニョを
後にした。建物は無くなっても、ここで得た人の輪は続いていく。
と言うより、続けなければ。最後の日にまた新たに出来た輪も含めて。


2002年8月12日
  8〜10日、「賢人会議」(どうして私がメンバーに入っているのか
わからないのだが)出席のため、東京往復。やっぱり、私は本州には
住めません。暑かった。
  札幌駅のホームで涼しい空気を吸い、ほっと一息。急いで着替えて
楽器を用意し、「夏の宴」の会場、JAM JAMへ向かう。安藤君と久々の
再会、いきなり「明けましておめでとうございます」ときた。確かに、
今年になって会うのは初めてだなあ。
  セッションタイムでの「からくりもどき」(西村、安藤、かさい)は、
乱入者多数ということもあり、崩壊したため強制終了させていただいた。
この日の収穫はルミ嬢のヴォーカルを初めて聴かせてもらったこと。
もしかすると、近日中に一緒に演るかも・・・。


2002年8月5日
 3日は、「初代」コンカリーニョでの最後の演奏機会となった。
「二代目」コンカリーニョが、何らかの形で復活できることをぜひ
期待しよう。ちずさんの中には、色々アイディアがあるようだ。

  4日は、結婚式の余興で一曲演奏。伴奏してくれたピアニストが、
余りジャズが得意でない人で、結構大変。早めに行ってリハーサルを
やっておいて、大正解だった。ふう。


2002年7月27日
  自分がとても甘い人間だということがよくわかりました。しかも、
色々な方に多大な迷惑をかけてしまい、大変申し訳ありませんでした。
  そんな訳で、かなり落ち込んでいますが、良い勉強の機会と考えて
います。初心に立ち戻って、ですね。


2002年7月23日
  畑中君からホームページ再開のお知らせが来る。こちらのコンディションも
少しずつ回復傾向、生業も比較的心穏やかに行えている。「心は平穏、
五感は鋭く」というのは、なかなか実際は難しいけれどね。

DANCE WEEKS 2002 at Concarino の案内が、コンカリーニョの
ホームページにも載った。毎日でも見に行きたいようなプログラムだが、
少なくとも14日は逃さないようにしよう。


2002年7月22日
  19日はアガルタ通信ライブ、20日はすすきのウィークエンドシアター
「耳無し芳一」と「おっとロボ」観戦、21日はゴッホ展と谷本光ライブ
観戦、とそれなりに忙しい週末。一時より少し元気です。

  今年もやはりはまったツール・ド・フランス。自転車ロードレースは
とても奥が深い。今のところはランス・アームストロングの4年連続
優勝の可能性がかなり高そうだけれど、まだアルプスの山登りが残って
いるので(自転車で2000mの山を毎日登るなんて、とても人間とは思えない
ことをやるのです)まだ勝負の行方は完全には決まっていない。今日は
レース休みだけれど、明日からまた睡眠不足だなあ。
 
ツール・ド・フランスの情報は、ここで見ることができます。CSまたは
CATVで生中継が見れますよ。


2002年7月21日
  雑感の更新が滞ってますが、それなりに何とかやっております。
少し落ち着いたら、また筆が(キーボードが?)進む時が来るでしょう。

今日は、これから谷本君のライブを観に行きます。


2002年7月11日
  コンカリーニョから、最後の(初代コンカリーニョを会場として使う)
DANCE WEEKSの案内が来た。手塚夏子さんと有田美香子さんが、今年も
来てくれるらしい。要注目ですよ。


2002年7月10日
  "SUNDAY NIGHT PRAYER MEETING" が日曜日にあり、フリーランスでの
ライブも水曜日にあったので、先週は疲労困憊。おまけに朝早い出勤が
多いと来ては、疲労度はなおさらだ。
  フリーランスでは「非電化アガルタ通信」のライブだったのだが、
やはりいつもとは大違い。しかし、1ステージ目の途中からは、それ
なりに自分では楽しむことができた。フリーランスのNicoleさんは
「もっと長く吹いて」って言ってくれたしね。でも、あの日のコンディ
ションでは、あれが精一杯だったのです。

  土曜日は半日勤務の後、家でおとなしく過ごす。日曜日はコンカリーニョ
に行き、「1億円」観戦。役者さんは上手なのだけれど、どうもそれに
誤魔化された様な気がしてならない。それと、昭和41年には既に小学1年生
だった者にとっては、気になる事がいくつかあったので、余計にストーリーに
入っていけなかった。
観劇後、バナヲさん、りりまちゃん、べいびーさんと
TIDOSで歓談し帰る。
  早めに寝ようと思ったら、この日からツール・ド・フランスが始まった。
中継が21時頃から始まって、その日の結果が出るのがだいたい1時前。
まともに見ないように今年は気をつけよう。去年、かなりはまって
しまったから・・・。

  本日、一灯庵の新作「八宝菜カレー」を試食させていただく。なかなか
面白いです。まだ味はきちんと決まっていないとのことで、自分なりに
注文をつけてきた。多分、完成するとかなりいけそうである。お楽しみに。


2002年7月1日
  25日、出張先で静かに誕生日を迎える。

  30日の"SUNDAY NIGHT PRAYER MEETING" レポートは、id-creation
「音楽的処方箋」に書く予定。想定外の面白いことが色々起こって
楽しかった。来場してくれた皆さん、ありがとう。木野君ほかスタッフの
皆さん、お疲れさま。


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