日々の雑感



2002年6月23日
  16日、昼間は某サックス奏者の結婚式。新郎新婦ともに知ってるし、
披露宴の会場には知った顔(ジャズ関係者)がずらり。新郎はサックスを
吹きまくり、さながらディナーショーだった。
  出席者名簿にどこかで見た名前が。あ、某役者さんじゃあないか。
思い切って声をかけてみる。彼もびっくりした様子。彼は新婦と職場が
同じなのだそうだ。ということは、医療関係者。この業界狭いですな。

  夜はそのままセッションへ、ではなく「くう」で梅津和時ソロライブ
観戦。今年も凄かった。前にも書いたが、管楽器奏者がソロで演奏すると
いうことは、とても大変なこと。しかも、2ステージのフルライブである。
梅津さんに握手してもらい、気持ち良く帰宅する。

  出張が思っていたより2日間短くなったので、20日はコンカリーニョへ。
「音楽的処方箋」に詳しく書いたが、オーディションのビリビリした緊張
感が、コンカリーニョの独特の雰囲気と溶け合って充実した一夜だった。
ちょっと思ったのは、評論家という人々は、それほど感性が鋭くないものの
ようだ。それはそれで良いのかもしれない。感性が鋭過ぎる人は、稚拙な
表現でも、何かを感じてしまうから。

  また木曜まで札幌を不在にします。


2002年6月16日
  15日のPARADOX COMMUNE LIVE Vol.5 に御来場下さった皆さん、
ありがとうございました。少なくとも自分は楽しめたライブでした。

  LakersはNBA Finalsをあっさり4連勝で終えてしまい、拍子抜け。
アメリカでのテレビ視聴率も低かったらしい。ここ2〜3シーズン、
東カンファレンスが西カンファレンスに比べてチーム力が落ちる傾向が
強いが、今年のNetsは特にそのことを感じさせてしまった。

  明日から3日間出張です。15日と16日には色々あったのでが、後日
まとめて、ここ或いはid-creationの「音楽的処方箋」に
書く予定。
少々お待ち下さい。


2002年6月8日
  予想通り、LakersはNBA Finalsを余裕の2連勝でスタート。Kingsの
ディバッツとウェバーのディフェンスの強さも突破したシャキール・
オニールは、Netsの弱いセンタープレーヤーでは守れるはずがない。

  夕方は、F.H.C.とリハーサル。さて、どうなることやら。


2002年6月5日
  L.A. Lakers、西カンファレンス決勝第7戦を延長の末勝利。息つく間も
無く、日本時間の明日朝から、NetsとNBA Finalsを戦う。でも、ここまで
来たらLakersが勝つだろうなあ。


2002年6月2日
  久々の地方出張はかなり疲れた。夜は暇になるはずなのでF.H.C.の曲を
覚えようと思っていたのだが、目的は全然果たせず。

  昨日は半日勤務の後、TIDOS1周年パーティーへ。山田さんと二人で、
スタンダード・ジャズやアガルタ通信のレパートリーも交えて演奏。
R.U.J.-Sapporoの伊藤君やヤヲッチも交えてセッションも。お互いに
いい機会だったと思う。たとえTIDOSの小さなステージでも、一緒に人前で
演奏することが、とても大切なことなのだから。

  帰宅後、NBAプレーオフの録画をセットして入眠、何とかL.A. Lakersが
3勝3敗のタイに持ち込んでいた。次の試合で決着がつく。現地時間日曜日夜、
日本時間では月曜日の昼間、放送は月曜の深夜になる。サッカーも面白いが、
こちらも要注目。


2002年5月26日
  昨晩、ラグリグラ劇場を後にしたその足で、6月30日のイベント会場
となる呑喰龍(どんくーろん)という店に。北大生協のすぐ近くで、どうも
昔の北大学長の家だったらしい古い一軒家だ。イベントを企画した木野君の
考えていたステージの位置では、アガルタ通信のメンバーが入りきらない
ため、反対方向にしてもらうように注文を出す。民家が近いということも
あるので、出演時刻が余り遅くならないようにともお願いした。
  どんな感じになるのか、まだイメージが湧かないのだが、多分いつもは
クラブに来ているような若いお客さんが集まりそうなので、楽しみだ。
アガルタ通信の演奏は、ジャズ・ファン以外の人にもアピールできるはず
だから。
  さっき、「呑喰龍」で検索をかけたら、大木煩悩さんによる店の紹介
記事が出て来た。中華料理店だけれどカレーも出しているから、ちゃんと
足を運んだようだ。恐るべし大木煩悩。カレーは辛くないらしいが、中華
料理は結構辛かった。(自分好み)

  明日から4泊5日で不在にします。あしからず。


2002年5月23日
  NHK総合テレビで、「世界チャンピオンに4回なり損なった男」坂本博之の
特集を放送していた。4回目の挑戦で負けた相手の畑山が、既にベルトを
失って引退したというのに、坂本は5度(たび)再起を図っているのだ。
  彼のパンチ力は世界の一流。だが、彼には相手の懐に飛び込んでいく時の
スピードが不足しているのだ。タイトル戦ではいつも、彼のパンチは空を切り、
無理やり接近戦を挑んではカウンターを食らう、同じパターンで負けている。
  彼の根性はボクシングファンのみんなが認めている。でも、現代のボクサー
には、スピードが不可欠だ。世界チャンピオンになれる見込みは非常に低い
だろう。それでも彼はあきらめていない。あきらめの悪い奴は、最後に成功
することも案外ある。とにかく続けなければチャンスは来ないのだ。


2002年5月21日
  巷ではサッカーの話題で持ちきりだが、NBAとNHLのプレーオフが
佳境にさしかかっている。もちろんNBAの注目は、L.A. Lakersが3連覇
するかどうかだ。19日はライブを観に行ったため、テレビを見ることが
出来なかったが、今晩はテレビにかじりつく。コービー・ブライアントが
体調不良ということもあってか、めずらしくレイカーズが敗戦。おそらくは
このキングスとの西カンファレンス決勝が、実質のチャンピオン決定戦に
なりそう(東カンファレンスのチームは、やや力が落ちる)なので、今が
一番面白い。今年のNHK-BSは、西カンファレンス決勝シリーズをきちんと
放送してくれるので、嬉しい。(もっとも、放送時間が深夜帯の時も
あるので、その時はビデオ録画で見ることになる)

  かさいくんから、追加の「宿題」が、メールでmidiデータの形で送られて
来た。Windows Media Playerを使うと簡単に再生できたが、40代にとっては
とても不思議なことだった。でも、自分のHPでも音楽ファイルを公開して
いるんだけれどね。

  明日は、久々に161倉庫に行く予定です。


2002年5月19日
  色々事情があって、id-creationのHPに「音楽的処方箋」なるコラムを
書くことになる。この雑感と時々内容にダブりがでるかも知れません。
あしからず。

  18日、アガルタ通信のリハーサル、東京から来た親戚を囲む会、
After Dark Cafeのセッション参加と大忙し。(午前中は診療!)
セッションでは、管楽器奏者が他に誰もいなかったので吹きまくり状態。
さすがにバテたが、いい練習になった。
  どういうわけか、中学時代のミニ同期会の日がセッションと重なる。
今回もやかましい観客約8名。
  セッション参加の演奏者の皆さん、許してね。あいつらは音楽好きなのです。
しかも、騒いでるだけでなくちゃんと聴いてるのです。


2002年5月15日
  12日、雑感を書いてから遊音でF.H.C.観戦、というか、6月15日に
共演が決定したので、「予習」である。キーボードのルミ嬢が、以前より
明らかにバンドにフィットしてきている。これだったら、自分が入ら
なくても音がさびしい感じは全くない。演奏を楽しむことを優先。
  帰りにかさいくんから「宿題」CD-Rを2枚もらう。1カ月で、少しずつ
曲を把握することにしよう。何分、いつもは1曲20分の演奏(アガルタ通信
では普通)というのに慣れているだけに、自分にとってまた新しいチャレンジ
である。

   F.H.C.の演奏終了後、バナヲさんと急いで「お花見」に某女性宅へ
参上する。花見らしい花見なんて、初めてかもしれない。ちょうど満開の
見事な八重桜、この世の天国。でも、お父さんの持病が自分の専門分野と
いうことがわかって、どうも医者の口調になってしまった。すみません。

  ネットサーフィンしていたら、某劇団の公演の、兵士が次々と死ぬシーンで
サイモン&ガーファンクルの"The Boxer"がBGMに使われたらしい。そういえば、
「ギターの会」でも、"America"を演奏していた人がいたっけ。で、久々に
S&GのCDを引っ張り出して聴いてしまった。
  ところで、某劇団の音楽担当者は、S&Gがユダヤ人だということを意識して
戦争物の劇中BGMとして使ったのかなあ。そこまで考えてたら偉いけれど。


2002年5月12日
ゴールデンウィーク明け、昼間の仕事が最繁忙期に突入。特に、早起きが
必要な検診は辛い。

  9日、COLONYを初めて訪れる。「打ち込みバンド&DJ」という組み合わせの
ライブだった。HPでは「150人収容」と書いてあるが、当日の観客数は
50人くらい。それでも、かなり混み合った感じで暑い中での観戦となった。
  会場に着いた時には、トップバッターの"
Kenny vs eimy"の演奏が
始まっていた。打ち込み中心のキーボードのお兄さん(多分Kenny)と、
ヴォーカルのお姉さん(多分eimy)とのデュオユニット。まとまっていて
心地よく聴けたが、反面「ありがち」なサウンドでもあった。ヴォーカルに
PAの方で、もっと深いディレイをかけたら、雰囲気がもっと出たと思う。
  2番目は、お目当ての61864。ベースにマイヤーさんが入ってからは、
自分は初めての観戦だ。ただ、この演奏を聴いた限りでは、3人編成に
なった意味が感じられなかった。ベースとマイヤーさんのヴォーカルが
聴こえないのである。COLONYのPAが余り低音が出ないことも、かなり今回の
演奏に影響を与えたように感じられた。それと、もう少し演奏の中で「遊び」
の部分が欲しかった。TaniuchiさんとTakahashiさんのテンションは、
相変わらず高くてカッコ良かったのだが。
  次はDJ timeが始まる。すぐに終わると思って待っていたら、1時間も
時間がとられているじぁないか。play自体も月並みなもので、COLONYを出て
結局After Dark Cafeへ足を向ける。

  店に入ると、学生バンドの演奏。そしてお客さんもまばら。ただ、その
客席に、少しずつプレーヤーの姿が増えてくる。学生バンドの2セットの
演奏が終了後、少ししてから「さあ、みんな揃ったし、3ステージ目を
演ってもらおうか」というマスターの声に促され、客席にいたプレーヤーが
ステージに立つ。最後の曲では、店に飾りつけてあるコルネットを借りて
結局自分もバンドスタンドへ向かう。
  セッション終了後、共演した若いヴォーカリストが「この曲って、1カ月とか
2カ月とか、しっかり練習しないと出来ない曲だと思ってたのに、その場で
すぐ出来てしまうなんて・・・」とびっくり。こんな経験をして、若い
ミュージシャンは少しずつ育っていく。でも、そういう経験をさせてくれる
いい店が少ないのも(経営が難しいのも)現実である。

  10日、まずはベッシーホールに行く。入口で若い女性に声をかけられる。
"SIPPの歌姫" Linちゃんだ。ちゃんと他の人を観に来ている。よしよし。
  ここではWHOOPSを観戦。しょうこ嬢が鍵盤ハーモニカとヴォーカルで
参加するようになってからは初めての観戦だが、すごくいい感じだ。
視覚的にもしょうこ嬢が良く動いたり、パフォーマンス(と本人は思っていない
かな)をやってくれたりするので面白い。
  2番目の"U'Men Soul"も観たかったのだが、TIDOSへ移動。

  TIDOSでは「ギターの会」と、ゲストにPETAさんと池庄が登場。
  TIDOSのこぢんまりとしたライブスペースは、アコースティックギターの
演奏にはちょうど良い広さ。「ギターの会」のメンバーは、お互いの演奏にも
ゲストの演奏にも、息を殺して見守る。
  初めてこの会にゲストで呼ばれた池庄の二人は少々押され気味。少々とちり
ながらも、段々いつもの勢いを取り戻していき、みんなを惹きつけて演奏を
終えた。もちろん、彼らに「ラジオに出て下さい」の誘いがキイチロー氏から
かかったのは当然である。

2002年5月5日
サウンドクルーのライブは時間押しまくり。ただ、最後に出てきた
RAPIS PINOの演奏は待った価値があったと思う。
CDで聴くよりも彼らの演奏はハードだ。それは迫力という点では
もちろんいいのだが、反面、TACが持っている多才で繊細な面を覆って
しまう危険性とも隣り合わせである。昨日のライブは少し音量が大き過ぎ
たと感じた。それでも、彼が色々広いジャンルの音楽を聴いて、自分の
財産にしつつあることは感じ取れた。
ドラムスのKANが安定してきたのは、このバンドにとって大きなことだ。
一発一発の音の良さやパワーを彼は元々持っているし、これからもっと
良くなっていくだろう。

小樽に着いたのは24時少し前。店では懐しい曲がかかっている。
ということで、こんな曲を自分は流してみた。
1.SILENT STORY IN HER EYES (Al Di Meola)
2.ANA MARIA (Wayne Shorter)
3.QUIET AFTERNOON (Stanley Clarke)

4.BADIA (Weather Report)
5.SHIFTLESS SHUFFLE (Herbie Hancock)
6.SALVADOR (Egberto Gismonti)


2002年5月4日
昨年夏に突然死亡したパソコンを復活させようと、色々やってみた結果、
とうとうBIOSのupdateで復旧した。不具合が直って、BIOSをupdateした
おかげでWindows 2000にも対応、30GBを超えるハードディスクにも対応。
しばらくの間は使えそう。どうしようかな。

今晩は、サウンドクルーでライブを観た後、小樽に移動してCafe MIKUMARIの
DJ partyに行きます。JazzyなLPをかけますよ。


2002年5月3日
フリーランスでのライブも無事終了。平日のライブは翌日が辛い。
少しセーブしようと思ったのだけれど、結局はいつも通りに。
初顔合わせの大村さんがドラムス、浜さんがベースという編成だったが、
いい感じで演奏できた。
というわけで、本日はお疲れモード、たっぷりお昼寝・・・


2002年4月28日
26日、カウンターアクションでRadio Unknown Juke
主催のライブ観戦。
ちょっと期待外れだったバンドもあったのだが、全体的には質の高い
ライブだった。ただ、いつも思うのだが、あのハコの音は何とかならない
ものだろうか。音がつぶれてしまって、何が何だかわからなくなる。
もっとも、以前に自分が出演した時には「いつもより音量を20dB下げて
下さい」と注文したら、その通りにちゃんとやってくれたし、それだけで
結構クリアーな音になったのだ。前にも書いたことがあるけれど、
もっとみんな自分の出音に気を使うべきだ。

27日、アガルタ通信GWライブ第1弾、無事終了。今回は余り積極的な宣伝は
しなかったのだけれども(ごめんね、浜さん)瀬尾ファンの若い女性が
多数来場。
演奏は、なぜか「くう」マスターの山本さんに誉められた。以前と比べて
「くう」で演奏することが特別なことでなくなったからだろうか。
自分としては普通の演奏。
一つ思ったこと。アガルタ通信の演奏は、客席で聴くよりもバンドスタンド
(ステージ)の中で、ドラムスの大音量を背中に受けて聴く方がずっと良い。
これは演奏者の特権だ。


2002年4月22日
昨日は、遅れていたタイヤ交換で一汗。夜はアガルタ通信のリハーサルで
二汗目。久々の「体育の日」でした。
リハーサルから帰って、体のほてりを冷ますためにテレビを観たら、
オートバイのMoto GPクラス(自動車のF1に相当する)南アフリカGPで、
宇川徹とロッシがデッドヒートを繰りひろげている。また熱くなって
しまったが、宇川が勝って気分良く床につく。でも、翌日(今日)の
新聞では、ほんの申し訳程度にしかとりあげられてない。
日本人ライダーは世界で活躍中です。NHKの衛星放送では中継がある
ので、ぜひ皆さん応援しましょう。彼らを"Unsung heroes"(讃えられない
英雄)にしないためにも。


2002年4月20日
東京では、電車内や学会会場で既に冷房が入っていた。千歳に戻って
自然のひんやりとした空気を吸うと、何だか安心する。

今日は、「乱拍子」という和太鼓の演奏を中心とした「新芸能集団」の
公演をやまびこ座で観戦。和太鼓奏者の亀田さんから案内をいただいて
行ってみたのだが、亀田さんは太鼓を叩くだけでなく、獅子舞、
「やまんば」、「すたすた坊主」と大活躍。どこぞの劇団の役者より
ずっと体での表現能力が高いじゃあありませんか。びっくり。
明日(21日)も、午前11時からと午後2時からの2回、公演があります。
基本的には子ども向け、ということになってるけれど、大人も充分
楽しめますよ。やまびこ座は北27条東15丁目にあります。

夜はAfter Dark Cafeのセッションに行こうかと思ったけれど、
日和りました。


2002年4月14日
11日、ベッシーホールにTIDOS仲間が集合するという情報を得たため、
久々にライブ観戦に出かける。
トップバッターの"qodibop"が一番のお目当てだったが、なかなか
「おいしい所をつくユニット」である。30分の持ち時間をトータルで
考えてパフォーマンスを組み立てているのが特に良い。生音の使い方が
もう少しパワーアップすると、凄いユニットになりそうだ。要注目。
2番目に出たバンドも、まだサウンドが未完成だが、志(こころざし)は
かなり大きいと見えた。彼らがやろうとしていることは、かなり演奏技術が
高くないと観客には伝わらないのだが、ぜひぜひ頑張ってもらいたい。

13日、TIDOS常連のヤヲッチと、NMA Workshop参加メンバーの小川君が
結成したユニット、"surfins"他のライブ観戦。
昨年2月以来の小川君のパフォーマンスを、特に注目して聴いたのだが、
ノイズを出す武器の「小川システム」が、以前より安定してきたと思う。
ただ、以前の不安定だったシステムから出ていた「とんでもない音」の
面白さが少し薄れたかも。それと、彼はソロプレイの方がいいような
気がする。他の人と演奏すると、他人のことを気にし過ぎる傾向が
あるのだ。これは、ユニットとしての演奏を繰り返していくと、次第に
解消されるとは思うのだが。
ヤヲッチについては、彼の造形作品(オブジェやコラージュ)や、プライベート
での行動を合わせて知っていないと、彼の音楽での表現を理解するのは
難しいかも知れない。とにかく「表現したいことがあり余ってる」奴なのだ。
とにかく、まだ始まったばかり。これからに期待。

明日から学会で3日間不在にします。


2002年4月9日
3月末の連戦ライブの後、静養中です。
昼間の仕事も混み合ってきたので、しばらくは「不活動性」になるでしょう。


2002年3月31日
MA-DA-RAのライブ、"Digital Garden" 3ステージで、充実の週末でした。
おいでいただいた皆様に感謝感謝。


2002年3月25日
19日、何とかMA-DA-RAの臨時リハーサルの時間がとれた。あとは、本番前日に
「駄目出し」するだけ。

21日夜、ユニット薺(なずな)の「贅沢な散歩」観戦。
演者(出演者、脚本家、演出家)の意図したことは充分表現できていたと思う。
全体に静かな落ち着いた雰囲気が漂う舞台だった。ある意味地味、とも
受け取られてしまいそうだが、実は観客に色々考えさせる構成になっている。
イマジネーションの豊富な観客であるほど、面白さが増すということなのだ。
うん、これってMA-DA-RAにも通じる所が多い。楽しみました。
会場がコンカリーニョだったのも良かったな。

22日、翌日の会議(大阪で行われる医学研究会議)の資料作りを特急で終わらせ、
「ベンチ、ベンチ、ベンチ」観戦。自分の闘病経験を生かした「白い妖精」
手代木さんの作品は面白かった。話の内容を少し軽めにしたのも成功の要因。
病院内の本当の会話は、かなり生臭いものが多いからねえ。

23日は飛行機に飛び乗り大阪へ。で、「今年度内に簡単で良いですから報告書を
まとめて下さい」と。今年度内、ってあと1週間でしょうに。しかも29〜31日は
毎日出演予定入ってるし。それでも明日(26日)の夜はラジオでMA-DA-RAの宣伝を
しに行こうとしている私なのです。


2002年3月17日
9日、アガルタ通信と1月に対バンしたM2Bの解散ライブ観戦。
腕達者を揃えているこのバンドがなくなってしまうのは惜しいが、メンバーの
皆さんとは、何かとお会いすることが多そうだし、チャンスがあれば共演を、
とお願いする。
また、HPにリンクをさせていただいているMikaさんの演奏も聴かせていただいた。
彼女は東京でこれから音楽活動をする予定とのこと。この日の演奏を聴いた
限りでは、なかなかやっていくのが大変では、とも思うのだけれど、強く願う
気持ちがあれば、夢は実現に近づくものだから。

ライブ終了後、P-CADが主催しているLIFEという集まり(飲み会?)へ足を運ぶ。
当然、自分は圧倒的に年寄り。コンピュータやテクノロジーを使いこなして
表現活動を行っている若者の会話に、ついていけないところがあるのも確か。
でも、何かを自らの手で創り出そうという点では、同じ仲間。幸い、去年の
ICCオープニングパーティーでの演奏を聴いてくれた人が多かったので、
こちらが知らなくても顔が売れていた。嬉しい。

14日、MA-DA-RAのリハーサル。ちょっとアクシデントがあったが、新曲の構成が
少しずつ形になってきた。でも、あと1回しかリハーサルできないんだよなあ。

15日、活劇(とても演劇とはいえないし、本人たちもそう言っていない)を見た後、
「らぐたいむ」でのEASTERのライブへ。お客さんは少なかったけれど、この日の
お客さんはとても幸運だったと思う。いい感じでたっぷり音楽に浸ることができた。
更に、アフターアワー・セッション&トークが最高。宮本さんの友人が、彼女が
中学・高校生の時に書いた詩に作曲した作品を弾き語りで演奏してくれた。しかも、
その人は私の高校の同級生の親戚だったのだ。こういった人との出会いは嬉しい、
の一言だ。

16日、せっかく消息が判明した旧友が、転勤で札幌を離れることになり、お別れ会。
二次会はそのままAfter Dark Cafeのセッションへ。
この旧友達がかなり大変なお客さんで、一聴しただけでセッションで
演奏している
プレーヤーの資質や演奏態度を聞き分けてしまったのだ。それも、普段ジャズを
聴いていない奴が、最も厳しく。大変勉強させていただきました。


2002年3月12日
まだ神経痛は完治していないが、かなり雑感を書いてないのでぼちぼちと。

2日、半日の通常業務を遂行後、サッポロファクトリーで旧友に再開。
たまたまネット上で彼が箏を演奏することがわかり、ほぼ20年ぶりに聴きに行く。
ガス会社のイベントで、ざわついた中、悪条件での演奏だったのだが、いい音色を
聴かせてくれた。向こうも驚いていた。

その夜は"Digital Garden"出演。観客の中には、歌手の一十三十一(ヒトミ・トイ)嬢も。
今回は塚原氏の知り合いに不幸があり(私も知っている人、まだ30代前半の女性)
出演不可。P-CADも欠席、ダンサーも人数が少ない中でのパフォーマンスとなった。
平柳女史が本番最中にいきなり「先生、踊ろう」と大きな声を出す。はじめは生返事を
しておいたが、しつこく何回も誘われるので踊ることになる。この展開には、観客も
他の出演者もかなり驚いたらしい。女史と私は自然に演ってしまったことなのだが。
3日も"Digital Garden"2ステージ出演。2日はお客さんが比較的多かったのに、この日は
全然お客さんが来ない。2ステージとも某新聞社の取材カメラマンが来た他は、
ギタリストの谷本君が2ステージ目に来てくれただけだった。ダンサーも少ないので、
またまた演奏以外の活躍をすることになってしまう。朗読をするのは高校以来で、
けっこう「つっかかって」しまった。
"Digital Garden"は、今月の30日と31日で終わります。毎回演っていることが変わって
いくので、リピーター大歓迎です。一部では「デジガー」として有名になりつつある
らしいのですが・・・。

6日、小樽フリーランスでアガルタ通信ライブ。トランペット2人、サックス2人、
「バップ道場主」泉さんを加えてギター3人という、とんでもない編成になってしまい、
1曲が長い長い。自分はソロを短めにしておいたが、お客さんは疲労困憊したのでは。
メンバーは終演後あわてて帰宅して行ったが、一部ススキノの某店で更に演奏した人も
いたらしい。元気あるわ、全く。

7日、MA-DA-RAリハーサル。今回の新曲は手強い。これもまた勉強ですな。

週末の話はまた改めて。


2002年3月8日
右手の神経痛がひどいため、雑感の更新はまた後日です。御了承下さい。


2002年2月27日
しばらく雑感の更新遅れましたが、色々忙しくしていました。

18日、コンカリーニョで音を出す。この会場(はこ、と読んで下さい)の響きは
いつも気持ち良い。ダンサーズと少し即興で遊ぶ。こんな贅沢が許されるのも
後何回だろうか。

21日、MA-DA-RAのリハーサル。山田さんがインフルエンザにやられて、1回
リハーサルに参加できなかったので、3月末のライブに向けて実質最初の
リハーサルのようなものだ。
新曲を手さぐりで演ってみたり、前にやった曲を思い出しながら演ったり。
あと2回か3回しかリハーサルはできないが、それでも何とかなってしまうのが
このユニットのメンバーの凄さである。などど言っていて、本番で轟沈しない
ように気をつけなければ。

23日、昔の仲間と会ってから、Paradox Commune 3を観戦。
残念ながら、お目当ての61864は見逃してしまう。ここでもインフルエンザ
流行の影響が出た。(と言ってわかる人は少ないかな)
今回の出演メンバーは、ほとんど「天国バナナの夜」と同じ。ということで
はずれは無かったのだが、会場の音がバスドラ強調、ベース聴こえないという
以前と変わらない傾向だったのが不満。お金を払って会場を借りてるんだから、
PAには遠慮しないで注文付けようね。

26日、コンカリーニョで「即興」観戦。
畑中君がとうとうドイツに移住決定し、札幌のお別れ公演になる可能性あり。
公演の前日に、ダンスの岩下さんが新聞で大きく取り上げられたこともあって、
会場はまずまずの入り。知った顔も沢山見える。
まず、杉吉さんが物凄い勢いで墨絵を書き飛ばす。他の2人は静かだ。
畑中君の音には以前と変化がみられる。言葉で説明するのは難しいけれど、
危機感が強くなったような気がする。
岩下さんのダンスも、パフォーマンスが進むにつれてテンションが上がっていく。
音がメロディックなものに変わり、ステージが絵でいっぱいになり、岩下さんは
コンカリーニョの戸を空けて外に出る。ひんやりした空気が会場内に入る。
岩下さんが戸を閉めた所で終わりかな、と思ったらもう少し続く。
音が最初の感じにもどり、岩下さんは"C・O・N・C・A・R・I・N・O"と
言いながら静かに踊り、約1時間の「即興」は終わった。


2002年2月17日
15日、DJ TETSUYAの地下スタジオで録音作業。これぞ本当のunderground
musicだ。どんな作品になるのか、出来上がりが楽しみ。
なお、彼が仕掛け人となるイベントが6月の後半に予定されてます。
詳細決定次第、お知らせします。

16日、WHOOPS目当てにベッシーホールへ行くも、ちょうど演奏終了直後
だった。偶然KAZUYA氏の演奏が聴けたし、以前にTIDOSでミニライブを
演っていたワタナベ君も出ていた。
その後TIDOSで「だらだらして」土曜の夜は過ぎた。

今日は、久々に完全休養日。ねむねむ。お休みなさい。


2002年2月12日
11日、コンカリーニョ遊戯祭での「小鳩くるみ団」公演観戦。
舞台装置なし、BGMほとんどなし、役者3人によるシンプルなステージ。
これでいいのだと思う。
山奥に迷い込んだ男女3人の一晩の物語だ。戦争が始まってしまい、
そこが一番安全な場所になってしまう、というブラックユーモアな脚本も、
役者さんの演技(二人の女優さんのコントラストがはっきりしていて良い)も
しっかりしている。
帰りぎわに演出の松本さんと一言。「今日は重くなっちゃったなあ」
いやいや、今の世の中軽過ぎる。あれぐらいやってくれないとね。

琴似の"Optica"に久々に立ち寄った後、ギャラリーストロベリーで
桑田健志ライブを観戦。ソロで演るのかと思ったら、バンド4人勢揃い
していた。
彼の歌も重い。聴き応え、見応えのあるものは、重いのだ。
3連休の最後の日は、充実して終った。

今週は、夜に予定びっしり。2月はライブの予定が無いのでゆっくり
できると思ったら、大間違いだった。風邪ひかないようにしなくっちゃあ。


2002年2月10日
8日、教育文化会館小ホールで
『札幌アンデパンダン2002〜新進作曲家たちの作品展』観戦。
アンデパンダンとはフランス語の"independant"、すなわちインディーズと
同じ意味。若い作曲家3人による「対バン」ライブの現代音楽版ということだ。
会場に行くと、大きな声で呼び止められる。ダンサーの平柳女史だ。
ホールの後ろの方に陣取ると、Miracle WonderzのRIKAちゃん、ヒゲオヤジ
塚原氏も登場。"Digital Garden" 出演者が半分揃ってしまった。
1人目の高橋さんは、トークで純朴な人柄がよくわかる。作品もそのままだ。
ただ、演奏者が彼の作品の良さを引き出せなかった。アルトサックスを奥野
さん、ピアノが田中朋子さんに演奏させたら、もっと生き生きしたものに
なっただろうに。(マリンバの人が一人で頑張っていた)
対照的だったのが、2人目の津田さんの作品の演奏。作品の持っている
日本的な良さを、充分に引き出していた。クラリネット奏者にとっては
とてもハードな作品だったのだが、情熱的な演奏で作曲家に答えていた。
最後の向山さんの作品が発表される前に、彼女から解説。「P-CADのHPに
載っていた"Digital Garden"の平柳さんの映像を見て、共演をお願いしました」
と。隣に座っていた平柳女史ともども仰天。作品の音そのものは、やや無機質な
感じだが、P-CADの映像が「にょろにょろ、どろどろ」という感じのものを
見せてくれて、相補的に面白いプレゼンテーションになった。
せっかくだから、"Digital Garden"の宣伝をしてくれればもっと良かったのに。

9日、「くう」で谷本君のライブ観戦。
他のお客さんは彼の追っかけ(?)女子高生2人と、「池庄」の池田さんカップル。

彼のギターテクニックには、色々「タネ」がありそうだが、それにしても17才で
あれだけやれれば立派の一言。何と言っても、気合入れて音楽をやっているのが
うれしい。共演のギタリスト戎屋氏(彼もまだ21才)を交えて、演奏後楽しくお話して
帰ってきた。


2002年2月4日
地味にコンテンツが増えてます。特に、サウンドファイルは徐々に増やして
いきますので、乞ご期待。


2002年1月28日
昨日書きそびれたことの追加。

27日、劇団深想逢嘘(うたたね)『あやめ満つる仄暗き朝。』観戦。
主人公(源義経らしい)もその他の登場人物も、源平の時代と
太平洋戦争中と
、戦後すぐの時代と、空想世界の中とを行き来する。
普通なら現代と古代とか、現実と死後の世界とか、せいぜいダブル・
イメージで留めるものだが、ここまでやってしまった作者の勇気に
拍手。ただ、解りづらかったのも確か。
それと、前半部分では言葉遊びとギャグが多く、話の展開を更に
解りづらくしていた。そこで時間を使ってしまった分、肝心の
クライマックスの所が時間不足になっていた。
また、昭和20年6月(既に沖縄が占領されている時期だ)に招集されて
ビルマ戦線に行く、とか、源頼朝が義経と直接刃を交える、というような
余りにも歴史上あり得ない話が
展開されるのには苦笑。少し気を使えば
いいことなのに。惜しい。
そして、せっかく義経が作家(ペンを武器とする者)として生まれ変わって
きたのに、その意味が生かされずに話が終わってしまったのが一番
残念だった。
役者さんたちは、若い割りには良くトレーニングしているし、見ていては
けっこう面白かったんだけれどな。

明日夜は、id-creationに出て、3月の出演予定を宣伝に行きます。


2002年1月27日
さて、18日に戻りましょう。
レジェンズ・スタジオで、翌日のライブの最終リハーサル。
なぜか、妙にハウリングが発生する。困っていたら、突然症状改善。
本番に不安を残しつつ帰宅。

19日、M2Bとアガルタ通信のライブ本番。
またハウリング発生。モニタースピーカーから少し遠ざかって対処する
ことにする。M2Bのサウンドチェックでは、サックスやトランペットに
マスターボリュームを合わせたら、キーボードが音量不足に。特に
モニターの音量が足りなくなり、中野さんに迷惑をかけてしまった。
で、本番スタート。M2Bが初めに演奏したが、サウンドチェックの時と
マイクの位置が微妙に変わってしまい、ハウリングの嵐。あーあ。
そんなこんなで、自分の演奏どころではない精神状態でステージに
上がってしまったのだが、演奏はまずまずだった。どこかで軽く
打ち上がりたいところだったが、次の日のことを考えて速攻で帰宅。

20日、「すすきのウィークエンドシアター」 "Digital Garden"出演。
今回はP-CAD欠席、ダンサーも少ない。客席の配置も、これまで区切られて
いたのを中央1つにして広くなった。おかげで、ダンサーや演奏者は
演りやすくなった。ダンサーが少ない分、自分も動きながら演奏し、
ダンサーと「身体」でのコラボレーションを多くしてみる。RIKAちゃん、
まりさんとの「からみ」は、ドキドキしてしまう。ついでに、お客さんの
前で仏鈴を鳴らし、「おはらい」をしてしまった。御利益はあったかな?

なお、この2日間tanakara嬢にお手伝い(というか実践訓練)をしてもらった。
またお手伝いと勉強に来てね。彼女のHPにも2日間の感想があります。

25日、久々のMA-DA-RAリハーサル。といっても、まずは小山君の新曲を
聴かせてもらうのが1回目の目的。3曲演ることになりそうです。
もちろん、前回好評だった「花束」もね。
3月29日(金)は、みなさんスケジュールを空けておいて下さい。


2002年1月24日
本日、我が家もブロードバンド無事開通。めでたしめでたし。

19日と20日の話は改めて。少々お待ち下さい。


2002年1月15日
13日、サッポロファクトリー・アトリウムでEASTER観戦。
年末のライブを見逃し(というか、クリスマスパーティーに急遽出演が
決まったので行けなくなった)、次回のライブの時もリハーサルが入って
しまったので、ここのミニライブを見るしかチェックの方法がなかったのだ。
で、宮本尚さんのvocalの存在感に脱帽。「ネオ・フォーク」なる紹介
だったので、自分の苦手な音なのかと思ったが、全くの杞憂だった。
横浜さんの声も、見た目と違って(ごめんなさい)とても伸びやか。
うまく売ったら、CDのタイトル曲"EASTER"は、ヒットするかも。

14日、「くう」で自分の今年最初の演奏。
3連休の最終日というのも影響したのか、お客さんはごく少数。
おまけに、1番目に出演する予定のバンドが現れない。おかげで我々が
トップバッターで登場することになった。
正月にやや練習不足気味だったので、トランペットの音の出方はいま一つ
だったが、半分公開レコーディング、と割り切ったのが良かったのか、
演奏の出来はかえって良かったように思う。対バンの2組も良かった。
ということで、お酒がたいそう進んだお客さんもいたのだった。

19日と20日はみんな来て下さいね。
なお、20日の2回目は17時開始です。18時開始とお知らせしていましたが、
訂正してお詫びいたします。


2002年1月6日
年末年始は一応休暇あり。でも、ゆったりできないのが年末年始だ。
年越しにどこかへ出かけようかと思ったが、結局は家でチャットしながら
新年を迎えた。まあ、これもよし。

2日、親戚の新年会で行ったMという神宮前のフランス料理店で、ティー
バッグよりまずい紅茶が最後に出てきて怒った。丁寧に注意してやったのに
従業員が口答えする有様。札幌の人って、味にうるさい人が少ないのか。
それともフランス料理はファッションで行くものなのか。

3日、一昨年来の課題だった(?)一灯庵でのカレー試食。おかあさんに
「辛いですよ」と念を押されてグリーンカレーを食す。丁度良い辛さ。
余りタイカレーという感じではないが、おいしくいただいた。
客は私一人、和室にぷーちゃん、さとわちゃん、とうま君があわただしく
出入りする。何だか、演劇を観てるようだった。(どこぞの演劇より
よっぽど面白かった)

4日、日帰り温泉へ。
特急の自由席に乗ろうとしたら、男性が邪魔をして車両内に入れない。
思わず「どうして入れないんだ!」と、彼をこずいてしまった。「指定席の
入口から入るからだ」と答えが。どうも、車両清掃員らしい。
空席がなくなるので急いで車両内に入ったが、こんな経験は初めてだ。
毎回同じ対応をしているのならいいが、納得がいかない。しかも、車掌か
駅員が対応するのならまだしもだが。入れずに待っていたのが自分を含めて
2人だったから良かったが、何人も怒った人間がいたら、将棋倒し事故を
誘発しそうな事態だった。

ああ、また前途多難な1年なのかな。

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